奏 4   カナデ 4   





……見慣れた天井。
もう見ることは出来ないと思っていた。あの時点では。
下腹の疼きを堪え、ゆっくりと起き上がる。

そう---おれが建御雷で自分の腹を刺し貫いた時には…


最低最悪。

1番卑怯な手を使った。

己の命を盾にして、脅迫まがいに告白するなんて…

でも、あの時は命も惜しくなかった。

赦されない想いを伝えるための代償としては軽すぎると感じた程に。

"生"に意味を見出せなくなっちゃったのも事実だけど…

寧子ちゃんが"鍛治師"として認めてくれた瞬間から、おれは命を摘み取る者になったんだ。

おれはその現実から逃げ出したかった……なんだか逃げてばかりだ。


寧子ちゃんの想いから、自分の想いから、現実から…


---微かな奏で---
音のする方向に目をやる…すぐ横に建御雷が置いてあった。
なんだかほっとした。

神剣は、神剣だけはおれの内側を垣間見ることができるから。
おれの"半身"だと解ったから。





「七地?」

"びくり"と肩を震わす。気付かなかった…
ゆっくりと視線を巡らせると…彼の姿を確認できた。

色を失った顔。漆黒の瞳だけがギラギラと輝いて見えた。

憔悴した面立ちから疲労が覗える…おれの所為だよね…
涙が零れる。


自分がしでかした事の大きさにやっと気付いた。

かけがえのない神剣を泥棒紛いに持ち出し、己の血で穢した。
何物にも代え難い神剣を。

それにも増して重大な罪は……愛する人を傷つけたこと。

身近な人を亡くした哀しみを痛いくらい知っているその人に、同じ思いを味合わせようとした。

守るべき人を、この手で傷つける。自分を卑しく守る為に。

これは堪える。

今まで抱えてた胸の苦しみなんかとは比べ物にならない。
その手を離したくなくて、振りほどかれたくなくて足掻いていたのに…自ら断ち切ったと同然だ…


言葉がでない。

彼に掛けるべき言葉も、言い訳する為の言葉も無い。

おれにとって言葉は意味をなさないものになってしまった。

そう思ったら本当に言葉が…出なくなっていた。
ただ謝りたかった。それだけの事が出来なくなっていた。

「あ…う…」
惨めな呻き声が建御雷の微かな共鳴りに重なる。

「七地?…お前、声が…出ないのか?」
両肩を掴んだ指が食い込むほど、力強く揺さぶられる。

混乱と恐怖で泣き叫ぶ。


なんて馬鹿なんだ?
おれが望んだものはこんなものだったんだ。
"神に愛された人"を謀った罰。
愛する人を傷つけた罰。
自分を愛さなかった罰。


愚かさに気付いても、罪を懺悔する声すら無くしてしまった。
そして、心に抱える獣とおなじように慟哭だげが赦されて。


「俺を見ろっっ」

彼の細く長い指が強引に、けれどこの上なく優しく頬を包む。

「責めるな…俺が全部赦してやる。だから…責めるな」


スローモーションのように見えた。

漆黒の瞳がゆっくりと閉じられる。

長い睫毛が艶やかに影を落とし

少し傾けた顔が近づく。

…口唇は重ねられた。

乾いた口唇は優しさと戸惑いを帯びて、何度も何度も降り注ぐ。
流れつづけるおれの涙を受け止め、口に、目蓋に、額に、頬に、首筋に……それは奇跡の雨のようにおれの心に染み込んでいった。

闇己くんがどんなつもりでそうしたのかはわからない。でも、それが最大級の"救い"であったことだけは間違いなくって……


一頻り彼の胸で泣いた。

言葉にならない謝罪と愛情を嗚咽に混ぜて……





何時の間にか眠っていたらしい。

求める人の姿は部屋になかった。その代わり、もう一人の愛しい巫覡…寧子ちゃんがいた。

「おかえりなさい。そして…ありがとう」
ゆっくりと頭を垂れた。

穏やかな気が彼女を包んでいるのがよくわかる。

謝りたくて声を出そうとしても、相変わらず言葉にならない。

「無理して喋っちゃ駄目。少し…心が疲れちゃったんですって。お医者様が仰ってたわ。時間が、ゆっくりと穏やかに過す時間が必要だって」
もどかしさに顔を歪めるおれを宥めてくれる。

「これ、必要でしょ?」
そう言って差し出されたのはホワイトボードとペンだった。

「御免なさい…私が七地さんを追い詰めたから…これほどまでに傷つけて、一歩間違えれば命まで奪おうと…」
強く握り締められた掌をそっと包み込む。

ゆっくりと首を左右に振る。
ホワイトボードを抱え込み、言葉を選びながらも正直な気持ちを書き付けた。



謝らないで。謝るのはおれの方だよ。

おれがもっと大人だったら、君の持て余した想いを受け止めてあげられたのにね。それどころか、君の中の嵐に便乗して……沢山の人を裏切り傷つけちゃった。

もちろん、寧子ちゃんのことも。

君は聡い人だから、嘘はつけないね。


一呼吸置く。口に出さなくても隠し続けてきたものを明らかにするには勇気がいる。



おれは…君と同じ想いを抱えてる。
赦されない事だってのもわかってる。おれは男だし…闇己くんとは"友達"だから。

立場だってあるよね。彼は布椎一党の宗主。本来ならおいそれと近づくことすら出来ない遠い人。
たまたま巡り会わせが良かったから、彼の傍にいることを許されているんだって。

まるで…月みたいだよ。すぐ近くにあるような錯覚しちゃうんだ。
手を展ばせば届きそうなのに、実際はもの凄く遠い所にいるんだよね。


「わかるわ…その気持ち」
ぽつりと彼女が呟く。おれは更に書き連ねた。


おれはあくまでも"鍛治師"として、"友達"としてだけ許されるんだ…存在が。

でも、"鍛治師"の自覚なんて全然なくって、縋りつけるのは"友達"と言う下手すると一方的な感情だけが唯一の糸。

尚更想いは隠さなきゃなんない。

否定された時は…闇己くんの中からおれの存在が消えちゃうときだもん。

それだけは嫌だった。哀しすぎる。

でも、おれってすごーくずるくて欲張りだから、我慢できそうになかったんだ。

だから、もっと強い繋がりが欲しかった。ほんと、呆れるくらい欲張り。

"鍛治師"としてのおれ。こんなに太い糸ってないでしょ?少なくとも維夫谷の念が昇華されるまでの間は必要とされるんだから。

そしたら…神剣が呼んでくれた。"来い"って。


「私にも聞こえた……強く、強く何かを求めていたのを感じられたわ。維夫谷の迦具土と水蛇も鳴いていたの…丁度七地さんが維夫谷を後にした頃から。それで、東京に出てきたんだけど…」
確か闇己くんもそんな事を言っていた。おれの半身たち。



それから…建御雷の元へ行った。泥棒紛いになっちゃったけどね。
この上なく優しく鳴いていたよ…持っている気性が信じられないくらいだった。

手に取った時…夢を見たんだ。

夢中で拳を振り上げて太刀を打っていたんだ…それが建御雷だった。

嘘みたいな偶然だよね。まあ、おれの理想が見させたんだろうけど。

夢でも嬉しかったよ?微かな望みが繋がったんだもの。

だけど…辛い現実も建御雷は教えた。"鍛治師"は巫覡の力の源である神剣を生み出すことが出来ると同時に…その巫覡の命を摘み取るんだってね。

とにかく怖かった。喜びより恐怖が勝った。愛しい人達の"魂"を焼くなんて…それができるのは"鍛治師"だけだなんて…恐怖そのものだよ。


震えていた。思い浮かべる事は出来なくても、あのとき感じた恐怖はまだ生々しく身体に残っている。


「もういい…よくわかったわ。貴方に苦痛を与えたくてここにいるんじゃないのよ。休みましょう。幸いにも建御雷は七地さんの事わかっていたみたいで、内臓には殆ど損傷が無かったの。それでも身体にはもの凄い負担がかかっているから…かなりの出血量だったし。とにかく、眠りましょう」

促されて床に就く。
思っていたより疲労が深い。横になるとあっという間に睡魔が襲ってきた。

幼い子供を寝かしつけるように優しく背中を摩ってくれる寧子ちゃんの掌がおれに伝えたのは…



もう、大丈夫…あなたに癒されたから…



安堵してまどろみはじめた。






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