奏 5 カナデ 5
あれから1週間…おれは穏やかな日々を闇己くんの家で過していた。 後で聞いた話だけど、おれは倒れた後丸2日眠っていたらしい。今までの睡眠不足を補うかの如く惰眠を貪っていたんだろう。 それにしても病院に運ばれなくてよかった。思いっきり"自殺志願者"だもの。医者にとって"刀で腹を掻っ捌く"なんて三島由紀夫だけで充分だろう。 みんな闇己くんのおれへの配慮からだった。 今回の事は"神剣の仕業"(おれの半身なのだから強ち嘘ではないけど)と言う所でおちついたらしい。 『気性の激しい建御雷が精神的に疲れて不安定になった七地の精神に感応してバランスを崩した為』の愚行だって。 これだって間違ってはいない…精神的に参っていたのも事実だし。 両親にも上手く伝えてくれているようだ。音沙汰がないのが証拠。 だけど…真実はおれが知っている。 それでも落ち着きを取り戻せたのは…闇己くんと寧子ちゃん、嵩くん(夕香もおまけ)…愛しい巫覡たちのお蔭だった。 "何も言わない、何も聞かない"---闇己くんを筆頭に徹底されていた。未だ言葉を取り戻せずにいるおれに対して…ただ傍らに寄り添っていてくれるのだ。 ありふれた日常の些細な事柄などの"普段と変わらない会話"だけ。不自然なのはわかっているけれど、おれにとって『救い』の時間だった。 細細と身の回りの世話を焼いてくれる寧子ちゃん。 何かにつけては顔を覗かせ、楽しい話を提供してくれる嵩くん。 あの"鬼妹"でさえ罵りを飲み込んでは足繁く(目的は別にあるんだけど)通ってくる。 そして…公務に学校に、忙しく飛び回る時間の合間を縫って訪れる闇己くん。 外出から戻った時、おれが眠りに落ちる前の短い時間にだけ彼は顔を覗かせる。 何も言わず静かに部屋に入って来る。 おれの顔をみては静かに微笑みをくれる…それだけ。 言葉なんて最初から必要ないんだって体現してくれる。 乾ききっていた心が清浄な水で満たされていくのがありありと感じられた。 彼の存在を感じながら眠りに落ちていく至福の一時…命を手放そうとした己の浅はかさを悔い、建御雷によって救われた命に感謝する。 闇己くんと一緒に歩いていきたい…心から願わずにはいられない。 今晩も「そろそろ寝ようかな」と横になった時、闇己くんはやって来た。 「入るぞ」 珍しく声をかけられた。返事ができないので枕元に置かれた鈴を1回鳴らした。 障子戸を開けると静かに腰を下ろす。 風呂上りらしく、まだ前髪から雫が零れていた。濡れた髪は漆黒を通り越して蒼く見える。 おれは手招きをした。 何も言わず近寄る彼の首にかけられたタオルを取ると、ジェスチャーで"回れ右"をする。 渋々頷いておれに背を向けた。 タオルを頭から掛け、雫を拭う。 真っ直ぐに伸び癖のない髪は、おれの手の中で彼の心根を映し出したかのようにさらさらと揺れる。 広い背中。でも今は宗主という重い看板を降ろし、年相応の少年のものに戻っていた。 髪を乾かす手の動きが不意に止まる。 …そっと掴まれた。風呂上りというのに冷たい指。 呼吸が止まる---緊張で身体が強張った。 「今日は月が綺麗だから…ちょっと見てみないか?」 背中越しなので表情を覗う事はできないけど、闇己くんも緊張しているみたいだ… 強張った身体から力を抜いたのが"Yes"の合図。 まだ足取りが覚束ないおれを女の子のように抱きかかえ、中庭へとつれだした。 恥ずかしくてジタバタするおれを見て 「誰に見られようが問題ないだろ?お前歩けないんだから」 いつもの調子で意に介していない。それが余計に好ましく思えた。 都内にあるとは思えないほどの広さと静けさを備えた布椎邸の庭は、満月に照らし出されて薄藍く煙っている。 設えてある庭椅子に降ろされた。 おれの横に腰を落ち着けると、2人して暫くの間月を眺めていた。 時折雲に隠れながらも色温度の低い、蒼い光を落としている。 徐に闇己くんが口を開いた。 「もう……あんな真似、しないでくれ……」 心の底から搾り出すような声だった。 何かを堪える瞳が拒絶の色を映している。 そりゃ、そうだよね。男が男に"コクる"ために命なげだしちゃうんだもの。 "迷惑甚だしい"以外に残るものなんて無いか。 おれが闇己くんの立場だったとしても…同じ解答するだろう。 頭の中じゃわかっていたのにな---こういう結果になる事。やっぱり突きつけられると痛いね。 溢れそうになる涙を必死に耐える。 自分がしでかした事を、想いを伝えた事を後悔しない為にも今泣いてはいけない…。 最低な手段を使ったけど、全ての現実を甘んじて受け止める責任まで放棄したら、おれはおれじゃ無くなってしまうから。 両膝を握り締め、目一杯顔を仰向ける…透明な雫が零れ落ちないように。 呼吸を整えて大きく1つ、頭を振った。 そう、やっぱり想いは閉じ込めておくもの。 おいそれと口になんかしちゃいけない。 迷い、もがき続けて消え去るまでは…… 「あんた…何て顔してるんだ?」 強い非難を込めた声だった。 答えに窮するおれの肩を強く揺さぶる。 「"簡単に命を投げ出すな"って事位わからないのか?お前まで…俺を置いていくなっっ」 きつく胸に抱き込められ目眩を憶えた。 「お前を手放す位なら…俺は全てを殴り捨ててでも取り戻す。お前に仇名し、苦しめるものを必ず引き裂く。例えそれが…お前を愛する者だとしても。それ程………七地を愛しているんだ……」 限界だった。これ以上溢れ出す想いを閉じ込め続ける事なんてできない。 自然、言葉も溢れ出す。 「闇…己くん…おれ…も…」 掠れて何て言っているのか自分でも聞き取れないほどの声。それでも精一杯搾り出す。 「君が…好き…だ…よ…」 おれを引き離して顔をまじまじと見つめる。その瞳には"信じられない"という言葉が浮かんでいる。 "こくん"と頷いた。 「だって…お前は寧子と…本当に違うのか?」 もう1度頷くと再び彼の胸の中に埋められる。 「寧子が言ったんだ…『ちょっと焼きもち焼いたの』って。俺と七地の中が良すぎるのが寂しかったから、七地をからかったと…本当にそうなのかもしれないけど、お前の口から確認できるまで信じられなかった」 幸せすぎて涙が止まらない。 愛しい人の胸に抱かれ、愛の告白をその身に受けられるという幸福に震えた。 今までに体験した事の無い歓喜の渦がおれを包む。 何かに執着するのが怖かった…今回のように己自身に魅入られることを知っていたから。 1度荒ぶれば手が付けられない事がわかっていた。 強烈な情熱を内に秘めた自分を他人に知られたくなかった…みんなおれから遠ざかって行ってしまうと思ったから。 それ程臆病な自分も知られたくなかったから。 誰からも"いい人"といわれたくて、真実を見抜かれるのが怖くて、広く浅い付き合いしかできなかった。 でも…こんな醜い感情を抱えたおれを、その想いをぶつけたおれを"愛しい"と言ってくれる人がいる。 "置いていくな"と心を痛めてくれる人がいる事実。 これ以上望むものなんか有りはしないんだ…そう、闇己くんが存在するのなら。 優しく涙を拭ってくれる。限りなく愛しいその指で。 おれの頬に添えられた指を外から包み込む。 「俺の手を…罪に穢れたこの手を、お前は掴んでくれるのか?」 そっと瞳を閉じると、柔らかい口唇が触れた。 始めは軽く啄ばむように、次第にそれは情熱的なものに変わる。 息苦しさに割った口唇の隙間から熱を帯びた舌が忍び込んできた。 歯列をなぞるように、艶かしく動く舌。絡み合い、内の熱を煽る。 蕩けるような陶酔感が全身を駆け巡り、思わず声が漏れそうになって我に返る。 危うく理性が吹き飛びそうになるのを堪え、名残惜しく思いつつ口唇を解き放つ。 「どうして逃げるんだ?嫌…だったか?」 あわてて首を振る。 『これ以上続けたら、君が欲しくなる』なんて口が裂けても言えない。 全身を真っ赤に染め上げるほどの羞恥。俯いて内心の動揺を必死に隠す。 そんなおれを放っておくほど闇己くんは優しくない。 全てを見透かしたように"ニヤッ"っと笑って呟いた言葉におれは溜息を吐く…… 「そんなにがっついてないぞ?時間はまだ山のようにあるんだから」 これから先が思いやられるな。 それでも一緒に歩いていくんだ。 君はおれの手を取った。 おれは君の手を取った。 今はその事実だけで充分。 蒼い月光の下、神剣達が"己の半身"の幸せを願い 一際優しい奏でを捧げたのは言うまでも無い。 『これはまだ 始まりにすぎないのだから……』 と。 |