奏 2   カナデ 2   





闇己くんからの誘いを断り続け、己の中の嵐を知ってから3週間。
とうとうその時がやってきてしまった……闇己くんと会わなければならない日が。





闇己くんがキレた。
確かにしょうがないかもしれない。今まで誘われて断った事なんかなかったもの。
バイトが入っていようが授業があろうが、彼からの呼び出しに応じなかった事は皆無に等しい。
テストなどよっぽどの事がない限り、おれは彼の意のままだった。

それが、突然の反乱。

闇己くんだって公務や学校でおれ以上に忙しい(比べるまでもないけど)はずなのに、初めの1週間を過ぎた頃から毎日のように電話がかかってきたのだ。

「あんた、俺に恨みでもあんのか?」

「そんな事ないの闇己くんわかってるでしょ?いつも申し訳なく思ってるよ。ただ、今はいろいろと立てこんでて…」

"しまった!"と思ったのは後の祭り…。

「へぇー、"立てこんでる"ねぇ」

…電話の向こう側からふつふつと怒りの音が聞こえてくるようだった。

「あんたがその気ならいいぜ」

勢い良く切られた電話の音が体中に木霊する。
怒らせるつもりなんかないのに……溜息が零れた。
それなのに、「声を聞けた」と歓喜に震える己の心があるのも事実だなんて…。

時間が経つほど思いは募り、心が掻き乱されていく。
それでも会えない。
誘いを断るたびに心の中は安堵の溜息と壊れていく"何か"の音で満たされていく。

声が聞けた事、誘いを受けた事への喜びは、己の卑しさを改めて自覚させる。
そうやって降り積もる哀しみは、癒される事なくおれを蝕んでいく……。

「堂堂巡りってこういう事なんだね。闇己くん……」





その翌日、おれ宛に一通の封書が届いた。
布椎一党の宗主としての闇己くんから。
恐る恐る内容を確認する。

……布椎神道流の演武会に鍛治師として是非お越し頂きたい……

これは正式な招待状だ。断るわけにはいかない。
盛大に溜息をつく。

おれは…大切なものを守れるのか?

大切な人を傷つけず、その人と共有する時間を手放す事なくいられるのか?

闇己くんを哀しませないでいられるのか?

欲張りな答えは闇の中。





手紙が届いてから3日後、おれは慣れ親しんだ道を久し振りに歩いていた。
闇己くんの家に繋がる道。
何も変わらない。
誰もこの気持ちを知らない。
いつもの"七地"だ。



布椎家の門の前に立つ。
既に大勢の人の気配がする。入ろうか入るまいか逡巡しているおれに声をかけてきたのは…

「七地さん、いらっしゃいませ」
1番会いたくない人の姿が視界に飛び込んできた。

「寧子ちゃん…どうして?」
できるだけ冷静に言ったつもりだったのに…

「おばけでも見てるみたいね。私がここにいる事がそんなに不思議かしら?」
微笑んではいるが、目は笑っていない。明らかに悪意に満ちている。

「そんな事ないよ。来ているなら連絡くらい欲しかったなー。歓迎会くらいできたのに」

「そんな暇無いほど忙しかったんでしょ?闇己から聞いたわ」
楽しそうに語る彼女。

「まあ、ね。」
曖昧に微笑む事しかできないなんて。

「七地さんて本当に優しいのね。私、ますます好きになったわ…あなたのこと」
そう言って突然抱きついてきた。

"何が起きた?"わからないまま立ち尽くす。理由は直ぐに聞こえた足音…

いつもなら直接向かう離れから近づいてくるのは…

間違える事なんかない。おれが何よりも欲して止まない瞳。

おれたちを見つめる瞳は…怒りに満ちていた。





思考が麻痺したおれは彼女に案内されるまま道場に入った。
用意されていた席へと腰を降ろす。闇己くんの隣り。
現れて欲しいのかそうでないのかわからないまま、ひたすら彼を待つ。布椎の縁者たちに傅かれ、話を聞くでもなく聞いていたその時、求め続けた人が現れた。

純白の胴着と袴を纏い、左手には建御雷を携えて。

あまりの清廉さにざわめいていた場内が静まり返る。

入り口で一礼してから踏み入り、自分の席へと腰を降ろした。
その間中、闇己くんは全くおれの事を見ようとはしなかった。


挨拶の後演武会は始まった。
今までなら小さな声で闇己くんと話をしながら遣り過ごすことができた。でも、今日は違う。

横目でちらちらと闇己くんの顔を見ても全く意に解さない。しらんぷりのままだ。

何より---彼女の視線。
おれ達が座っている場所より少し下座からこちらに注がれ続ける視線に居たたまれなかった。

彼の息遣いが感じられるほど近くにいるのに、

叫びたいほどの歓喜に酔いしれる心があるのに、

視線を交わす事も、会話をする事もできないなんて……。





演武は順調に進む。
胴着に身を包んだ人々の気合と白刃が場内を占める。
刃引きされたとはいえ、鋭い切っ先が空を切る。

「寧子とはいつからか…?」
聞こえるか聞こえないかの大きさ。多分、おれにしか聞けないほど。
静かな怒りと責めが滲んでいる。

答えることなど出来ない。"急遽作られたもの"に返答できるほどの余裕は持ち合わせていなかった。
俯いてやり過ごす事だけがおれに許された解答だった。

「…今度は黙りか?」

背筋が凍りつく。激しい怒りが満ちていた。
そして、かすかに微笑んでいるであろう彼女の"気"を感じてしまったから…

立ち上がる闇己くんに掛ける言葉も見つからず、ただ背中を見送るだけ。

視界に捕らえるのは、やはり微笑んでいた彼女の横顔。

そのまま宗主の模範演技が始まった……。




純白の胴着に漆黒の髪と瞳、握られているのは神剣建御雷。
道場の中心に立ち、凛と構える。

神降ろしをしているわけではないのに、その1つ1つの所作に「神」の存在を感じないわけにはいかない。



神住まう其の掌は

千年の時を越え留まり続ける"念"を切り裂き

鎮め給う

闇住まう其の眼は

己が抱え込む業の重さに打ち震える

魂住まう其の御体は

孤独と罪に彩られ

増え続ける傷口から

溢れる血流を止める術を持たない



苦しくて、哀しくて、涙が溢れた。

こんなにも美しい人。

欲しくて堪らない。


何てこと考えてるんだろう。

狂ったのかな?それならとっくの当に狂っている筈だ…闇己くんに。

卑しく薄汚れた黒い感情を胸に秘めたまま、平然と闇己くんの隣りにいる厚かましさ

それを自覚しながらもまだ彼を求めようとする心

「もういいよ…こんな想いなんていらないから……」






「七地?」

闇己くんの声が聞こえた瞬間だった。
夢の中で何度も何度も聞いた音が爆発的な大きさで場内に轟いた……。

「神剣が鳴ってる…」

場内の人々の動きが一瞬にして止まる。中には何が起こったのか判らない人もいるみたいだが、大半の人達はこの変化に気付いてる。
神剣の「共鳴り」を聞ける人は限られてる。それでも布椎一党の者ならば何かしら感じられるはず……と言うよりこの「共鳴り」自体が尋常ではなかった。

「共鳴り」は神剣同士が近くにあるときお互いが呼応する様に起きる。少なくとも今まではそうだったと思う。
今目前で起きているものは全く異質だった。神剣同士が呼応すると言うより、何か別のものに対して呼びかけている気がする。それは………

「おい、七地っっ。お前どうしたんだ?この共鳴りは尋常じゃない。何か心あたりでも…」
闇己くんの言葉に目を見開く。おれが何かした?おれは何も……

嘘。心の中は嵐でいっぱい。

誰にも、何も気付かれちゃいけない。

そう、変わった事など何1つないんだ。だから心当たりも……



「何もない…よ……」

その一言を呟いた後、おれは意識を失った。





chapunのコメント

神剣にシンクロする七地の心…封じ込めようとすればする程綻びは生じ、現れる共鳴りに心かき乱され…
何だか書いてても切なかったです。

この章の『神住まう…』の一節は、我がサイトがBGMでお世話になっています『VAGRANCY』の主催者様の1人でいらっしゃいます『小鳥遊 小鳥さま』<タカナシ コトリさま>の作詞なされた歌…

『サクリファイス』

の一節を引用させていただきました。(この曲が含まれますCD<緑の森で眠ル鳥>はVAGRANCY様で通信販売されております)

神の創り給う"人"の清らかさと穢れを顕したような歌詞に心打たれ、chapunの中にある"闇己像"を見出してしまいました。

引用を快諾していただきました小鳥遊 小鳥さまに改めて、この場を借りてお礼申しあげます。



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