カナデ    





「ビィィィーン…」

「ビィィィーン…」


漆黒の空間の中で唯一感じられるもの……。
どこかで聞いた事があるけど、それが何の音なのかは判らない。

ただ静かに、囁き掛ける様に奏でられる音は心地良かった。
なんだか愛しくて、とても慈しむべき音の様な気がして……。





「また、夢か・・・・・。」

眠れない…。

"翌日に障る"とわかっているのにおれは眠れぬ夜を過していた。
こんな風に眠れぬ夜が続くようになってからどれくらいになるのだろうか?無理矢理横たわっていたベッドから身を起こし、何を見るわけでもなく窓の外を覗う。

カーテンの隙間から差し込む月の光がうっすらと横顔を掠める。自分の頬が仄蒼く染まっている事に気付きもしない。
ゆっくりと、そして誰にも聞かれてはならない様静かに溜息を洩らした。


気付いてしまった……己の卑しく救い様の無い想いに。


初めからそうだったんだ。"あの人"を視界の隅に捕らえた瞬間から。
恐らく誰にも見られる事がないであろう自分の、一番深い所にある想いは静かに…音も無く軋み始めていたんだ。

窓際に座り込み、何も言わず光を落とし続ける月を見上げた。…答えなど返ってくる筈がないのに。
それでもおれは月を見つめる。

まるで赦しを請うかの様に。



「その清浄な光で、おれの浅ましさを消し去ってください…………」



まんじりともせず朝を迎えた。あれから既に2週間以上経っていた…自分の想いに気付いてしまってから。

あの時の気持ちをどう表現すればいいんだろう……

今までにも何だか釈然としない想いが自分の中で垣間見える時があったと思う。
おれは気付かないフリをして先送りにしてきたんだ……いつかは向き合わなきゃいけないのに。
"あの人"がおれに笑いかける度、おれを叱る度、おれと共有する時間を過していく度…独占したかった。
漆黒の瞳に写る事、優しく語り掛ける事、微笑みかける事、涙を流す事……その全てがおれだけのものであって欲しいと心から想った。



"あの人"を取り囲む全てから隔離して

飛び立とうとする羽をもぎ取り

足掻こうとするであろう身体を拘束してでも

おれの腕の中に閉じ込めておきたいと…

そんな想いを抱いた自分を浅ましく、薄汚く思いながら否定できない自分。

辛くて、哀しくて、大いに虚しかった。

己の闇に気付いてしまった理由が理由なだけに----



あの日おれは出雲にやって来ていた。もちろん"あの人"---闇己くんと共に。
宗主自らが執り行う神事に「鍛治師」として同行を求められてだった。

闇己くんと旅に行けるのは嬉しかった…のに、素直に喜べない自分もいる。

本当なら「鍛治師」として扱われる事にもの凄い抵抗があった。
おれを鍛治師として認めたのは闇己くん---宗主だけであるから。
何の根拠もない。ただ彼が"鍛治師だ"と言っただけでの特別待遇である。
ただし布椎一党の中での宗主の発言は絶対であるから、表立って異論を唱える人はいない。

それでもわかってしまう…無言の圧力っていうモノ。「所詮は外の者だ」という疎外感。
一党の集まりに参加するのは余程の事が無い限り断ってはいるが、それでも今回のように避けられない事もある。

そんな時に痛切に感じる……おれと闇己くんとの距離を。

一緒に居られる事自体が奇跡なんだと。

簡単に言えば住む世界が違う。
解った上で、それでも「闇己くんと一緒にいたい」と自分で選んだ筈なのに…情けない。

膨大な数の縁者・義縁者に取り囲まれ、傅かれ、その人々を纏め、圧倒的な信頼を集める人。
一介の大学生のおれにとって、それだけの期待に応え、重責に押しつぶされる事なく振舞う闇己くんは
尊敬に値すると同時に否応なしに"遠い人"との寂しい感覚にも囚われてしまうのだ。



まるで月のようだ…



今回もご多分に漏れず維布谷の村長を始め、縁者・義縁者、地元の有力者達が引く手数多で彼の到着を待っていた。

本家に到着するなり出迎えに出ている人の数に、「毎度の事ながら」と圧倒されてしまった。
(言わずもがな当の本人に至っては全く意に介していないふうだったけど)

車から降り迎えの人々に挨拶をする事無く、闇己くんはずんずんと門の中へ入っていってしまう。
慌てて頭を下げつつ彼の後を追う。


「闇己くん、せっかく出迎えに来てくれている人達に挨拶ぐらいしなきゃ。ね?」

「…あんたアホか?何人いると思っている」
冷たくあしらわれてしまう。

「えーっと、50人くらいかなー?」
おれの答えに大きな溜息を吐く。

「家に入るまでに何時間かかると?それにすぐにやってくる」

「"お目通り"ってやつ?」

「…わかっているならいちいち聞くな。ほら、寧子たちが待ってる。行くぞ」
しょうがないと言わんばかりにおれの右腕を掴んで、本家の門を潜った。



「無事のお帰り、一同お待ちしておりました」

ぶつぶつ文句を言っていたおれはその透き通った声にドキリとした。

薄紅色の着物を纏った寧子ちゃんだった。
しばらく会わないうちに一段と綺麗になっている…凄惨な美しさと言う表現が一番しっくりとする程に。

「ただ今戻りました…」
しっかりと頭を下げて闇己くんが言った。
彼を見つめる視線---痛々しくておれは目を背けた。

「七地さん、いらっしゃいませ。遠い所をわざわざお越しくださって…闇ちゃんの我儘に付き合ってくれてありがとうございます」
おれにまで三つ指突いて挨拶してくれる。

「そ、そんなことないよ。おれが勝手にくっついてきただけだから。こちらこそ、お世話になります」
あわてて頭を下げた。

「寧子ほっとけ。七地が言っている通りだから」
思わずムッとする。
"寧子ちゃんの言う通りじゃないかーっっ!"と敢えて言わないけれど。

「さあ、早く上がって下さい。2人ともお疲れでしょ?」
荷物を預け客間へと通された。





その後は想像通り…一休みしたと思ったら、一斉に人々が押しかけてきた。

闇己くんの隣りに座り、紹介をされるたび曖昧な笑みを浮かべて挨拶をする。
その後は邪魔にならない様静かに、存在自体を消してしまう様に黙っている事の繰り返しだった。

4時間程過ぎた所でやっと開放された。
ずっと正座をしていた為20分は動けなかったと思う。(足が痺れすぎてた)

その間に着々と宴の席は準備されていたようで、再び縁者の人々と合間見える事…3時間。

いい加減疲れと気遣いでうんざりしていた。

自然と口数も減り料理に手をつける気にもなれず(お腹は無茶苦茶空いてるのに)、勧められるがまま強くも無い酒を煽っていたら…案の定つぶれてしまった。もちろんおれが。

「闇ちゃん、そろそろ七地さん開放してあげなさいよ。大分酔いが回ってきてるみたいだし…」

「…だ、だいじょーぶ…だよ?おれ…まだ…くらきくんと…い、いっしょに…」
とは言いつつ、呂律がアヤシイ。

「…寧子、七地頼めるか?俺はもう少しここにいるから」
渋い顔をしながらおれを気遣ってくれる。

「だいじょーぶ…だよ?」…そう言おうとしたおれの腕を半ば強引に引っ張り上げたのは寧子ちゃんだった。

「七地さん、行きましょう---」
微笑んではいるが言葉の端に有無を言わさない強いものが垣間見えて、おれは素直に従った。





既に布団が敷かれた客間に案内された。
着ていたシャツの襟元を緩め、だらしなく畳の上に座り込んだ。

「闇己くんってすごいなー」
純粋にそう思ってしまう。いくら宗主だからと言っても…まだ17歳、甘えたりそれなりの"青春"ってやつを謳歌したいはずなのに…億尾にもださない。それどころか完璧なまでに宗主を演じている。

「おれといる時は…もっと歳相応なんだけどなー」
呟いた直後だった。おれの為に水を運んできてくれた寧子ちゃんが入ってきた。



「…闇ちゃんのこと?」
静かに水を手渡してくれる。

「うん…少しは気を許してもらえてるのかな?って。ちょっと奢ってるかもおれ」
その言葉に過剰に反応した…鋭い視線。それは正に"嫉妬"に彩られていた。

「私…こんなこと七地さんに言いたくない。判っているの。わかっているのに…我慢できない」
爪が食い込むほど確りと握り締めた掌が痛々しい。

「…ずるい」
突き刺さる言葉。わかっていてもやっぱりキツイ。

彼女の最大の秘密を共有するおれだけに向けられる言葉…狂おしくて泣き叫びたくなるほどの想い。

「"奢り"?そんなものじゃない事、七地さんならよくわかっているでしょ?闇ちゃんは気軽に心を許さない…あなたは闇己の"特別"なんだって事」

「そんな事ないよっっ。ただおれとは今の所利害関係があるし、一緒にいる時間も…」

「嘘!七地さんそんな風に思ってないっっ。"自分は特別だ"ってわかってるじゃない!!」


…長い沈黙。さきに破ったのはおれだった。

「ごめん…確かに"特別かも"って思うことあるよ。でもさ、それって友達としてじゃない?良くある事だけど、今まで闇己くんにとってはそう言うこと無かったから…」

「友達?七地さんがそう思っていても…それでも嫌。闇己が"私以外の誰か"に執着するなんて……耐えられないっっ」
大きく見開かれた瞳から透明な雫が零れ落ちる。その瞳は---真っ直ぐおれを捕らえている。
…逃げられない。


「どうして欲しい?おれはどうすればいい?どうしたら君の涙は止まるのかな?」
目一杯冷静に言葉を紡ぐ。それが致命傷になるとも気付かずに……

「闇ちゃんに…闇己に会わないで…」

何ていったの?耳を疑う。

「勝手な言い分だってわかってる…それでも…」
強く、そしてどす黒い感情を湛えた瞳は有無を言わせない…

「七地さんの立場もあるでしょう…神剣探しは今まで通りお願いします。でも、それ以外には闇己に会わないでっっ。これ以上闇己を独り占めしないで…私にも分けてくれたっていいでしょ?闇己の中にある"私の居場所"を返して。」

突然の通告。思考が麻痺してくる。

「闇己に会わなかったと思えばそんな事どうって事ないでしょ?私の方が闇己と一緒に過した時間が長いんだもの…だから、闇己とは必要以上に接触を持たないで。私と闇己の繋がりを……壊さないでっっ」





モウアワナイデ

誰と?

クラキトアワナイデ

どうして?

ツナガリヲコワサナイデ

壊してなんかいない

ヒトリジメシナイデ

そんなつもりは…





あった。

何者にも染まる事無く、誰とも迎合せず、孤高を貫いている彼に惹かれた。

何が彼をそこまでさせるのか?興味を持った。

少しでも心を開かせたい、力になりたいと思った。

あわよくば彼の"特別"になりたいと…

そうして彼に近づく度、彼の素顔・心の内を垣間見る度…彼に夢中になっていった。

他の誰でもないおれに歩み寄って来る度、思いを吐露してくれる度、言い知れぬ歓喜に震えた。

そして今…"彼の特別になりたい"自分じゃなく、彼が…闇己くんが"おれの特別"だと気付いてしまった…





慄く自身に掛ける言葉は無かった---それどころか寧子ちゃんに気付かれないようにするだけで精一杯。
告がれた言葉に頷いてしまった己を…今は只、恨めしく思うばかり。


「もう…闇ちゃんに会わないでくれますね?」

おれが何を言おうと既に彼女の中で決定された事。

抗う術も無く頷いてしまった…。

もし首を縦に振らなかったら?---考えられなかった。彼女の狂おしい思いはもう、自分でコントロールできる範囲を逸脱している。


NOの答えは即ち、おれの存在の否定に繋がるのが目に見えていたから。

彼女は徹底的におれを殺す…闇己くんの中から。

それだけは嫌だ。

やっと掴みかけた指を…闇己くんの存在を手放すには…既に遅すぎる。

それ程"彼"を求めている自分に…気付いたから。


頷いたおれを見た彼女の笑顔をおれは一生忘れないと思う…

それは"同じ思い"を抱えた者として、他人事ではなかったから…

混乱と狂喜に満ち満ちていたから…





頷いた後は何事も無かったようにいつもの彼女に戻った。
甲斐甲斐しくおれの介抱をし、「おやすみなさい」と部屋を後にしていった。

そんな彼女を目の当たりにして、おれは益々混乱する。

己の抱いた思いは間違いなく彼女の抱える"それ"と同じものだから。

明らかにする事が赦されない…恋。

理不尽で不条理、常識から外れた願い。

1人になった事で思考はその1点に集約されていく。



孤高の人を

この腕の中に閉じ込めたい

おれだけのもの

ほんの少しの視線も

1欠片の言葉さえも

誰にも譲らない

溺れるほどの愛を与え

その口唇を

身体の隅々を貪り

血の一滴

肉の一欠けらまで残さずに

おれのものにしたい…



自分を哀れみ涙を流した。
1番理由にしたくない泣き方。
それでも今夜だけは自分を赦してやりたかった…これからは誰も赦してくれないから。
己自身さえも。





翌日の神事は何の滞りなく済んだ。

美しい装束に身を包み、舞い踊る彼を見て…改めて自覚した。

彼を愛していると。

神剣を巧みに扱い、気を纏い神と交わる

美しい巫覡…


視線は絡め取られ、外す事などできるわけが無い…

そうして魅入られていく。


最後まで、確りと目に焼き付ける。

"おれだけの巫覡"と---


神事が終わるのを確認して、おれは維夫谷を後にした。

逃げ出す事しかできなかった。



こんな自分を闇己くんに知られたくない、見られたくはないのに…思いの丈をぶちまけたいと泣き叫ぶ己。

おれは途方に暮れた。自分の中にこれほど激しい嵐があるなんて思っても見なかったから。

気付いてしまった想いはどれ程願っても消す事などできない。

消す事が出来ないのならいっそ、会わなければいい。
荒れ狂う情愛の炎に己を焼き尽くさせ、一人闇己を貪る夢を見よう……それが今のおれにとって精一杯だった。




あれから2週間ちょっと。闇己くんには会っていない。
帰ってしまった理由を伝えた時意外、電話がかかってきても、それとなく断りをいれる。

いつまでもこんな事出来ないのはわかってる。一応おれは甕智彦の末裔として布椎の家では扱われている。そうでなければ闇己くんとこんな風に会う事などできない。
神剣の情報が入れば会わないわけにはいかなし。

ただ、少しの間だけ時間が欲しかった。猛る想いを鎮め、あわよくば消し去る為の時間が……。



大学の授業と空いた時間にはバイト。考える暇などない位忙しく動き回った。
おまけに夜はほとんど寝付けない。

「そろそろ限界かな……」
体が悲鳴を挙げているのがわかる。心もそう。

それでもまだ止められない。何も解決していないから。

時間が解決してくれるなんて嘘だ。

時間が経てば経つほどに強まる想いがある。

猛り狂う業火がある。




生まれたての想いは

人知れず

月夜に血涙を流す…………







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