響 4   ヒビキ 4    






七地を抱き締めたまま泣き叫びつづける俺から七地を奪い取ったのは寧子だった。

「闇己っっ、いい加減現実を見なさい。こんな結果を招いたのは…あなたであり私の所為なのよ?今出来る事をやらないでいたら…どの面下げて七地さんに謝るの!!」

強烈な張り手を喰らい正気に戻る。

その通りだ。こんな事で七地を手放す事などできるか。





不在だった稚国に連絡を取り、大至急ICUクラスの病院施設と医師をこの家に送り込ませた。

不幸中の幸いなのか、主思いの神剣のお蔭なのか…内臓には重大な損傷は見受けられなかったらしい。

ただ、出血量はかなりのものだったらしく、相当量の輸血を必要とした。


七地が救命処置を受けている間、俺たちに出来る事と言ったらただ只管に祈る事のみ…その場は寧子と嵩に任せ、俺は部屋を出た。

1人道場に篭り、神降ろしをする。


「布椎の家に宿る気よ…巫覡の命を紡ぎ出す"神剣"を我等に与え給う鍛治師…七地健生を護り給え…」

印を組み、己に降り立った気を只管七地に送りつづける……

俺の不在を訝しんだ嵩に発見されるまでの4時間…七地を思っていた。

「アホかっ。お前まで共倒れにでもなったら布椎一党もろとも路頭に迷うんだぞ?いつもみたいに宗主面してみろってんだよー」
憎まれ口を叩かれる。嵩なりに俺を励まそうとしている様だった。

「うるせーよ。お前みたいな半人前以下に御託なんぞ並べられて堪るか」
ふらつく足を叱咤する。倒れている暇などない。

処置の終わった七地の部屋へと戻った。





穏やかな寝息が聞こえた。

「闇ちゃん…」

今まで七地に付き添っていた寧子が声を掛けた。

「どうなんだ?」
寧子の横に座り込み、七地の様態を問う。

「もう、大丈夫だって…後はゆっくりと養生させなさいって」
その言葉を耳にしてやっと安堵の溜息が洩れた。

「ずーっと七地さんに気を送りつづけてたのね…嵩ちゃんと2人で心配してたんだから」

「ああ。今嵩に罵られてきたばかりだから、寧子まで言うな。結構消耗してるらしいから…」

襲ってくる疲労を何とか押し止めているのだ。

「うん…少し眠ったら?私が七地さんについているから」

「嫌、傍にいたいんだ…もう、手放したくないから」
素直な言葉が零れた。


それだけが唯一の望みだったから。

それ以上何も言う事無く、寧子は部屋を後にした。





長すぎた夜が明け、柔らかな日差しが障子越しに部屋を明るく照らす。

七地が目覚めた……混乱を抱えたまま。
「七地?」

"びくり"と肩を震わす。
ゆっくりと視線を巡らせると…俺の姿を確認する。

色を失った顔。怯えを隠し切れない。

憔悴した面立ちが、己の無力さを改めて実感させた。


七地の見開かれた瞳から涙が零れた……


自分がしでかした事に傷ついている。

神剣が七地の心を映すかの様に微かな響きを奏で始めた。


「あ…う…」


建御雷の微かな共鳴りに重なるのは…声にならない声。

「七地?…お前、声が…出ないのか?」
両肩を掴んだ指が食い込むほど、力強く揺さぶる。

混乱と恐怖とで泣き叫ぶ七地…。


泣かないで。

自分を責めないで。


「俺を見ろっっ」

強引に、背けられた顔を俺に向かせる。

「責めるな…俺が全部赦してやる。だから…責めるな」


震える指で七地の細い顎を捕らえる。

ゆっくりと瞳を伏せ

少し傾けた顔を近づかせる…

…口唇は重ねられた。

少し涙を含んだ口唇は戸惑いを帯びていたが、想像以上に柔らかく甘やかだった。
流れ落ちる涙を受け止め、口に、目蓋に、額に、頬に、首筋に……何度も何度も注ぎつづけた。

七地がどんなつもりで俺の口付けを受けていたのかはわからない。俺はただ、愛しさと優しさだけを込めていた。


口付けから開放すると一頻り俺の胸で泣いた。

言葉にならない想いを嗚咽に混ぜて……





泣き疲れたらしい…何時の間にか眠ってしまっていた。

柔らかで細い身体からは規則正しい寝息が聞こえていた。

"もう少しこのままで…"という想いを封じ、そっと布団に横たわらせた。

栗色の髪をそっと梳き、部屋から出た。


七地の状況を医者に説明する。

「心身のショックから一時的に失語状態に陥る事は稀にある事です。決して患者さんを責めないでください。症状が進行する恐れもありますから。今は静かに見守ってあげる事が回復への近道です」


嵩と寧子、家人の者達に告げる…今後一切事件に触れるなと。

宗主からの絶対命令に従わない者はいない。そもそも今回の事件は"鍛治師が神剣の戯れに惑わされた"という話に摩り替わっているので、誰も七地を責める事は出来ないのだ。

七地が神剣を握っていた事についても、七地の言を信用するのが最もなのだ。
厳重に管理されたセキュリティーは、七地が道場に侵入したと思われる時間帯に異常を感知していない。道場に何者かが侵入した形跡が全く残されていないのだ。
『管理ミス』も考えられた為、あらゆるチェックを施したが…何1つ不具合は見つけられなかったのだから。





しばらくぶりに穏やかな日々が巡ってきた。

会話に不自由な七地にはホワイトボードが持たされている。

登校前や外出からの帰宅後、七地が眠りに落ちるまでの間…俺はあいつの元を訪れる。

何を話すわけでもない。気が向けばその日の出来事くらいぽつぽつ話す事もあるが、大抵はただ傍にいるだけ。

そっと微笑みあうだけでいい。


もう少し、七地の心が後もう少し癒されるまでの間は……





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