響 3   ヒビキ 3    






有無を言わさず七地を抱え道場を後にする。

嵩と寧子を呼び、演武会の後処理と医者の手配をする。
急ぎ用意された客間の布団に七地を横たわらせた。


「どうして…」
この言葉だけが身体中を駆け巡る。

そこまでさせたのは俺?

答えは返ってこない…


傍らに座り込み、やつれた顔を覗き込んだ。

血の気の引いた顔は蒼を通り越して色の無い白さが浮き立つ。

頬の肉は削げ落ち、閉じられた目蓋はぴくりとも動かない。

微かに聞こえる弱い呼吸だけが七地の存在を表している。


ただ手を握り締め、薄茶の髪を撫でてやる事しか出来ないのだ……





やって来た医者とそれを伴ってきた嵩に七地を任せ、入れ違いに部屋を後にする。…どうしても聞かねばならない相手がいた。

「寧子っっ」
覚悟していたのか、口唇をきつく噛み締め俺を待ち構えていた。

「俺に申し開きすべき事があるだろう。今なら聞いてやる」
静かに、それでも目一杯の威圧を込めて吐き出す。

まっすぐ俺を見つめる顔は色を失っている。それでも視線を外さない。

「いい度胸だな…」
兄弟相手に向ける言葉ではない事位、十分承知していた…それでも怒気を沈める事などできないのだ。

「私の…浅はかさが七地さんを追い詰めました…」
震える声が更に怒りを煽る。

「ふん、2人で"了解済み"という訳ではなかったんだな?俺はお前が言う"浅はかさ"をさっき目撃している」

「七地さんは…何もしていません」

「そんな事は百も承知なんだっっ!何故あいつをあんな状態になるまで追い込んだ?一族の宝である"鍛治師"を貶めたんだっっ」
強い怒声が寧子を追い詰める。

「私…寂しかった。本家を守るお勤めは私だけに許される仕事。わかっているのに…闇ちゃんと七地さんは私を置いていってしまう。維夫谷から遥か離れた地で私の事など忘れていってしまうと思ったら…寂しすぎた」
まだ視線を外そうとはしない…

「お父さんが亡くなり、いつも一緒だった闇己は離れていってしまった。巫覡にとってかけがえの無い"鍛治師"を携えて。七地さんが羨ましかった。七地さんに惹かれて旅立っていった闇ちゃん…唯一の家族まで連れ去られたような気がした。だから…」
"こくり"と喉が鳴る。

「先日、2人が維夫谷に戻ってきた時…七地さんに言っちゃったの。『闇己を取らないで』って。私の唯一の家族をこれ以上独占しないでって…」

呆れ果てて表情を失う。七地なら素直にYESと頷くだろう。

「"俺とは会うな"とでも言ったのか?」

「ええ…"それで君の気が済むのなら"って。その程度で変わってしまう関係ならそれでも良かった。"鍛治師"と"巫覡"ならその程度で消えてしまう様な絆は持ち合わせていないもの…何があっても切り離す事なんか出来ない」

グサリと突き刺さる言葉…俺達を試したのか?


二の句が告げなかった。

これはある意味寧子の"賭け"だったのだ。

七地が本当の"鍛治師"ならばこの程度の障碍など打ち消す。俺が七地を"鍛治師"と言うのであれば、それもまた然り。そして…

並々ならぬ俺の七地に対する執着の意図を見抜くための仕掛け。

隠そうとする程に綻びが生じる想いの真意を図るための。

俺には及ばないものの寧子もまた並の巫覡ではないのだ。その程度の変化なら感じるはず。


寧子を見つめ返す。表情は歪まない。

「お前の"読み"は外れたな…」
やっと歪んだ…必至に涙を堪えている。

怒りは収まりつつあった…本当はどれが寧子の真意なのかわかるわけがない。
それでも、俺なりの答えは出ようとしていたから……

「七地は…寧子が仕掛けた物どころか、寧子や俺自身まで飲み込んじまう程許容範囲のデカい奴だったんだよ」
俺の言葉を聞き終えると、畳に突っ伏して泣きじゃくった。





「七地が意識取り戻したぞ…って、やっこ姉泣いてるじゃん。もう知ってたのか?」

嵩が知らせを持ってきた。勝手に勘違いしているが今はそう思ってもらっていた方が楽だ。

「まあ、そんな所だ。…わざわざ知らせてもらって悪かったな」
自分でもめずらしく感謝の言葉が自然と口から出た。嵩も驚いて言葉を失っている。

そのまま放って置き、七地の部屋まで急いだ。





襖を開けた瞬間飛び込んできたものは…もぬけの殻になった布団だけだった…

「七地…」

あわてて部屋を飛び出す俺に気付いた嵩が後を追ってくる。

「どうした?」

「七地が消えた。急いで探せっっ!」

「何だって?あいつフラフラ出歩ける様な状態じゃねーんだぜ?"心身共にかなり衰弱してる"って医者がのたまってたぜっっ」


急ぐ足が止まる…

「そこまでして俺から逃げ出したいのか?」

必至に逃げ出す七地を捕まえて、拘束して何が出来る?

寧子から告げられた言葉を伝えたところで納得などすまい…あいつは底なしに優しいから。
再び逃げ出すであろう七地を捕らえ、また逃がし…堂堂巡り。


恐怖に身体が固まる。そんな事望んでなんかいないっっ。

「闇己っ、何やってるんだよ!このまま放って置いて見殺しにでもすんのか?俺は嫌だぞ。あんだけ必要としていながらいざとなったらサヨナラかい。自惚れるのも対外にしやがれっっ」

嵩の罵りに怒りを覚える事すらできないなんて…それ程あいつを愛しすぎて…





「七地…?」

共鳴りの響きと共に感じた気配……先ほどとは打って変わって穏やかなものに変化している。

それなのに、悲壮感は増している。この短い間に何が起きた?

「こんな所でなにやってんだっっ。---どうして建御雷を持っている」
怒りと困惑が同居する。厳重な管理の元に置かれた建御雷を携えていた。

「うん、呼ばれたんだ。建御雷がおれを呼んでた」
神剣が呼んだのか…。七地が鍛治師であれば、起こるべくして起こる事。

「七地さん、部屋にもどりましょう…顔色が悪いわ…」
何時の間にか寧子が佇んでいた。ただ深い哀しみだけに彩られて。

「…まだ、戻れない。」
静かに呟いた。

何時の間にか人垣ができている。屋敷中に待機していた者達が囲みに入った。早まるなよ…心の中で祈る。

「まあ、神剣泥棒に間違われても仕方ないか」


鞘から建御雷を引き抜く七地。

月光を浴びて本来の輝きを取り戻したように見える建御雷は鮮やかに燐光を放つ。

「誰が"神剣泥棒"だ?お前が眠っている間もずっと呼びつづけてたぞ…建御雷だけじゃない。維夫谷の水蛇もな」

やっとの事でそれだけ吐き出せた。


気付いてくれただろうか?七地は正真正銘の"鍛治師"だと言う事を。

お前に迷いを与え、追い詰めた寧子が下した間違い様の無い判断。


俺達と係わり合いを持つようになってからあんたはいつも不安気だった。

"鍛治師"と呼ぶ俺の心を受け止めつつ、それと同時に苦痛も感じていた。

友として思うのに、あんたはいつもどこかで気兼ねしている。立てる必要の無い波風を立たせ、俺の重荷になると勝手に思い込んで…。

ただ、明らかな"証し"が欲しかったんだろ?

何の迷いも持たず、一緒に居る事のできる"証し"が…それは俺も同じ事。


「おれ…鍛治師かなぁ?寧子ちゃん?」
突然七地は言った…寧子の思いなど当に読んでいたのか。
涙を堪えきれず、寧子は囁いた。

「…七地さんは…私たちの…鍛治師です…」
思い切り安堵の表情を浮かべた。

「ありがとう、寧子ちゃん…泣きそうな位うれしいよ」
神剣を逆手に握る。

「おい…七地。何してるんだよっっ」
嵩の叱責が響く。

「うん?建御雷を返すんだ…本来の持ち主にね…」
俺の方に向き直った。





何を言っている?

俺にも理解できる言葉を話せ。

何を返すって?

それはお前が…鍛治師が作り上げた巫覡の寄る辺だぞ?

唯一、巫覡の魂を焼くことの出来る比類なき力の持ち主であるお前の…





<やめろっっ!!!>…声にならない声が全身を駆け巡る。

気付いたのかそうでないのか…七地はこの上もなく優しい笑みを浮かべた。


『この太刀を…君のために…マナシ…』


寧子の悲鳴が轟く。

何が起きたんだ---理解したくなかった。

ただ、七地の下腹から見慣れた神剣の束が覗いていた……。

ぺたりと膝がくずれた。


「な、なち…」

受け止める事しか出来ない。

「へ、へ…君たちの"魂"は焼きたくないな…なんてね……っつぅ」

何を言っているんだ…

喉の奥から何かが込み上げてくる。

こんな事の為にお前を"鍛治師"にしたかった訳じゃない。

「何してんだよっ、お前は!」
溢れ出るものを抑える事など出来なかった。

「泣いて…くれるんだ…うれしい…な…」

「馬鹿野郎!何でこんな事…」

「ごめん…おれって…卑怯だから…寧子…ちゃん…」

掠れる声で必死に伝えるべき言葉を探している。もう…何も言わないでくれ…

願いは届かない。

「もう…赦して…あげても…いいでしょ…」

全てを受け止め昇華し、その上で寧子を赦そうとしている。

「どうして、どうしてそこまで優しくできるのっっ」
泣き叫ぶ寧子。頑なだった何かは当に崩れ去っていた。

「へへ…」

「何笑ってんだよっ!何とか言え!!」

こんな時でも怒鳴りつける事しかできない…

愛しくて愛しくて…何者にも代え難いひと…

掠れた声で囁かれた。





「キミガ…スキダヨ…」





ただひたすらの慟哭

項垂れた七地を抱きとめても

答えは闇の中

空っぽになった俺は

血を吐き

朽ち果てるまで

泣き叫び続ける事しか出来ない……





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