廃墟と楽園 8 - 赤楽 28年 - |
目的の地がそう遠くない事を景麒は感じ、逸る思いとは裏腹に疲労の海に沈み込もうとする己の体躯に鞭打つよう1度頭を振った。 視界に納めた蓬山は…この世にその場所が存在するようになってから、ありえないであろうこの世の終焉の瞬間まで…変わる事がないであろう姿を留めたままであった。 勿論、景麒を迎え入れる為に佇むその人も然り。 音もなく着地した驃騎の背上から芥瑚の腕にすがりつつ景麒は降り立つと、穏やかに微笑む目の前の人ではない者に向って頭を垂れた。 碧霞玄君…玉葉である。 「景台輔、久しいのう。延王、延台輔より仔細は伺っておる。逸る思いをわからぬでもないが、まずは御身大事としばし休まれよ」 「しかし…」 「景王不在の今、そなたまで斃れたとあれば残される民はどうすればよいのじゃ?疲弊しきっておるのは一目瞭然。宮を用意しておる。そなたに今一番必要なのは充分な休息じゃ」 既に決定事項だとばかりに玉葉は言うと、祀廟へ向って歩き出した。 それ以上言葉を紡ぐ事は許されず、景麒は渋々と後に続く事しか出来なかった。 玉葉直々に案内された宮は海棠泉よりそう遠くない一角にあった。 以前景麒が使っていた宮より幾分か東に位置するようだ。 既に万端の準備が施されており、後は客を迎え入れるばかりの様相を呈している。 「そろそろ金波宮より経過の青鳥も届くであろう。今は蓬山公もおられぬし、言うまでもなくこの宮は好きに使うが宜しい。御身休めた後ならばいくらでも話しを聞こうぞ」 景麒の背中を押し出すよう宮へと導くと、ゆったりとした動きで玉葉は退出していった。 しばらくの間その後姿を見るでもなく見ていた景麒ではあったが、己が思っていた以上に疲労が濃かったようだ。 ふらふらとよろめくように臥室へ向うと、意識を失うよう臥牀へと倒れ込んだのだから。 その様子に一瞬焦った芥瑚ではあったが直後聞こえた景麒の深い眠時の呼吸音に胸を撫で下ろし、静かに景麒の影の中へと溶け込んでいった。 □■□
ドカドカと我が物顔で禁門に降り立った六太は、出迎えに来た冬官長僑可によって労われた。 「延台輔、無事のお戻り何よりでございます」 「ああ。思ったよりも時間かかっちまった。悪いな」 多少バツが悪そうに頭を無造作に掻き毟ると、六太は苦笑を浮かべた。 「季節が悪かったのか、年がら年中そこらにいると思ってたんだけどなかなかみっかんなくてさ。数が揃わなかったんだよ」 「"数"でございますか?」 訝しげに訊ねてくる僑可に六太の方が逆に疑問をぶつける。 「へ?お前んとこの冬官から10匹集めてこいって言われたんだぞ?俺」 「何と…峰明が?」 「おうよ」 眉間を押さえ弱り顔で呟く僑可。 「他国の麒麟をまるで使い走りのように扱うとは…」 「別にいいじゃねーか。実際似たようなもんだし?」 「延台輔…」 いたずらそうに言う六太に向って、苦笑を浮かべつつ僑可は窘める。 「他国の麒麟を使い走りのように扱うなど本来なら言語道断の所業。しかしながら今は不測の事態故、御無礼お許し頂けますでしょうか?」 「勿論よ。まぁ、何か考えあっての事だろ?そうじゃなきゃ数の指定なんかしてこないって。叱ってやるなよ?」 何の不都合もないと、それよりも官を叱るなという六太に、僑可は己の主達と同じ匂いを感じてほんのりと胸が温かくなった。 麒麟は慈悲の生き物と知ってはいても、六太の人柄から滲み出てくる自然な優しさであると、そう思えて仕方なかったから。 僑可の胸のうちなど知ってか知らずか、六太は続けた。 「とりあえず8匹。足りるかわかんねーけどこれで目一杯だったから勘弁してくれ」 「誠にありがとうございました。お戻りの直後で申し訳ありませんが冬官府まで御同行頂けますでしょうか?」 人好きのしそうな笑顔で僑可は六太へと願い出た。 「勿論よ。あっちで茶の一杯でも出してくれりゃ充分。何をやらかすのか俺も興味あるしな」 外見的年齢そのまま、いたずらそうな笑みを浮かべた六太は僑可を伴い歩き出した。 禁門から外宮へ向けて歩く道すがら、六太が戻った事をどこからか聞きつけてきた官吏達が一様に叩頭していく。 己の主を…陽子を救う手立てを伴って戻ってきたのだと暗に含めて。 普段なら鬱陶しく思うだろうが、さすがの六太も彼等の想いが理解できるだけに好きなようにさせていた。 『陽子…お前、愛されてるなぁ…』
胸の中六太は呟く。 たった30年の間にこれほどの味方を作り出すなんて。 有象無象・海千山千の輩ばかり巣食うのが朝廷と言うもの。それじゃなくても陽子が王として立つまでは碌な王朝が続かなかった慶だ。想像を絶するまでの官吏による抵抗が在ったであろう事は六太にも容易に想像できた。 拓峰の乱で古狸の大本はとっちめたと聞き及んではいたが、己の領分を侵される事を殊更嫌がるのが官吏である。 勿論浩瀚や遠甫等によって底入れはされたであろうが、一国を預かる官吏の数という物は計り知れず。 朝廷に仕える者だけでも雄に千は超える。 その全てがとまでは言い切れないが…大多数がここまで陽子へと心を寄せている姿を直視して。 『陽子、お前にも見せてやりたいよ。お前が頑張って築いてきたものたち。信頼って言葉の意味を』 だから…絶対助け出す。 お前を愛する人々が皆必死になって陽子を救う為に頑張ってる。 だから、陽子も頑張れ。 おまえ自身の為に。お前の帰りを待ち続ける人の為に。 お前の半身の為に…。 祈るような気持ちで胸中呟いた六太は、僑可によって開かれた堂扉の奥へと足を踏み入れた。 冬官府の最奥、目指す堂室に辿り着くと六太と僑可は驚きに目を細めた。 既に見慣れてしまった要石の鎮座するその堂室の様相が一変していたからである。 堂室の中央部、小さな書卓の上には件の要石がその存在を顕にし、周囲には見慣れぬ円陣の様な物が描かれていて。 更に外周を取り囲むよう並べられていたのは幾つもの燭台。 それは正に「呪をかける」と言わんばかりの状況で。 六太は張り詰めた室内の雰囲気を感じ取り、このまま一歩を進めていいのか戸惑う。 けれどそんな六太の反応に対して僑可は我関せずと言った様子で、要石の目の前に跪き祝詞を唱えていた峰明へと近付いていったのであった。 「延台輔がお戻りになられたぞ。準備は既に整っているようだな」 「…あぁ、僑可様。これは失礼仕りました。ちょっとばかり集中していたもので気づきませんでした」 声をかけた僑可に、峰明は悪びれもせずゆるりと振り返りどこか気の抜けたような笑みを浮かべて答えた。 2人の遣り取りを確認して漸く室内へ立ち入る気になった六太に、峰明は厳しい口調で静止をかける。 「延台輔、大変申し上げ難いのですが…この室内へ立ち入られるのはお止め頂きたいのです」 「へ?どーいう事だ?」 正に一歩を踏み出す為に右足を持ち上げていた六太は、訝しげに峰明へと視線を投げた。 峰明は尚も何処かふわふわと意識の在りかが定まっていないような視線のまま、それでもきっぱりとした口調で続ける。 「既にこの堂室には私めが敷いた呪が満ちております。簡単な結界も張ってあります故その堂扉より内側に入り込まなければさすがの延台輔も気づかないでありましょう極々弱い呪ではございますが。 延台輔のお体に余り宜しいとは思えぬ類の物ですので、どうか…」 よくよく意識を集中させてみれば、確かに薄っすらと血臭がしない訳でもなく。 納得した六太はそのまま堂扉の前で待機する事を了承した。 「わかったよ。けどさ、お前何するつもりなんだ?恨咀を篭めた呪なんか敷いたら色々とヤバイんじゃねーの?」 「心配には及びません。峰明ならば」 何故か僑可が笑みを浮かべて六太の問いに答えた。 「意味わかんねーって…まぁ、お前らが大丈夫っつーなら俺は余計な事言わねーけど。でもさ、出来れば余り血は流すなよ?景麒は普段より弱ってるし、俺も血は得意じゃねーから」 多少バツが悪そうな苦笑を浮かべて六太が言うと、峰明は虚ろな笑みのまま頷いたのだった。 「承知致しました。今はまだそのような段階ではございませんので安心して下さい。それよりもお願い致しました妖魔は…」 「今はって…しょうがねーか。約束通りに10匹って訳にはいかなかったけど、とりあえず8匹は何とか用意してきたぜ」 そう言うと、己の影の中から見慣れぬ姿をした生き物達を表出させる六太。 大きさは子犬程度。皮膚は何処かヌメヌメと湿り気を帯びていて瞬く蝋燭の灯火を弾いている。 主の意に従ったのか、それはモソモソと地を這うような動きで堂室内へと入り込んで行った。 「ほぅ。蛭のような姿をしているのですか」 「ああ、こいつらは血臭に鋭くてな。黄海の中で血を流した者がいれば即どっかから沸いて出てくるんだ。特に悪さらしい悪さをするって事はねーけど、この妖魔の姿を見つけて集まってくる大物ってのもいるんでな。余り良い意味に思われちゃいねーな」 僑可の問いに答える六太。 蛭のような姿をした妖魔は、再び祝詞を唱え始めた峰明を取り囲むように並んだ。 今回を策を練ったのは峰明らしく、峰明が動かなければ先に進まない。 そう理解した六太は、峰明の祝詞が終わりを見せるまで堂扉の外で静かに待った。 「…ふぅ。準備が整いました」 「そっか。こいつらには峰明の言に従うよう言い含めてあるから、好きに使うといい」 「有難き。それでは早速お手並み拝見と行きましょうか」 そう言うと、峰明は1匹1匹丁寧に抱え上げ、要石の鎮座する書卓の上に置いて行く。 六太と僑可はその様子を黙って伺っていた。 「どうやら血臭は1人分だけではないようなのですよ。郊祀の祈りを利用された事だけじゃなく、複数の血臭が絡み合っていたからこそ、台輔ははっきりとした意識体を感じ取る事が出来なかったのではないかと思い至りましてね。 ならば以前黄海に血臭に鋭い妖魔がいると聞き及びました故、利用出来ない物かと。 実際何人が携わっているのか分からない為、10匹とお願い申し上げましたが足りない事はないでしょう。 いや…あってはならない。 さあ、お前達。この璧にかけられたであろう血臭を増幅する呪をかけてあるから、この匂いから持ち主を辿っておくれ。 けれど慎重かつ隠密に。気配を悟られてはいけないよ?」 一匹一匹の背を丁寧に撫でながら、峰明は言った。 その言葉で動き出した妖魔達は、一斉に要石へと覆いかぶさる。 頭と思しき先端部分をピタピタと璧に擦りつけ、匂いを己に刻み込むように。 暫くそのような光景が続いたかと思うと、徐に書卓の上から飛び降り1床の下へと溶けて行った。 「早速動き出したようだな。後は使令達の帰還を待つばかりか」 「左様でございますね。延台輔には何とお礼を申し上げれば良いものか…」 「何、まだ始まったばかりじゃねーか。礼は使令達が期待通りの結果を持って帰ってきてから有難く頂戴するよ」 「確かに。私は浩瀚様へとこの件について御報告しに参ります。峰明は台輔宛に青鳥を。よいな?」 「畏まりました。それから延台輔の使令達が戻るまで、この室内には私と僑可様以外は立ち入らぬ様浩瀚様にお伝え頂けませんでしょうか?」 「承知した。延台輔は長旅のお疲れもありましょうから、掌客殿にて暫し休まれては如何でありましょうか?」 「そーだな。ちょいと強行軍だったってのは否めねーし。これからまだまだ小間使いにされそうだからちっと休んでくるわ」 「何と畏れ多い事を…」 「あははは。気にすんなって。好きで勝手にやってるって言っただろうが、な?んじゃ、あんま女官達に気使わねーように言っといてくれ」 「畏まりました」 「んじゃ、峰明。結果が出たら連絡宜しく」 遣り取りを済ませると六太は掌客殿に向け、僑可は冢宰府へ向けて冬官府を後にしたのだった。 残された峰明は、景麒へと青鳥を送る為に室内へと止まっていたが…。 「おやまぁ…こんなに早い帰還だとは…」 景麒宛の書状を認めていると、足元に感じた気配。 見下ろすと、先程放ったばかりであった六太の使令の中の1匹が峰明の足先を突付いていたのであった。 「結局敵は一番身近な場所に居たと言う事か…」 抱き上げ己の額を使令の頭と思しき場所へ擦り付ける峰明。 それは傍目から見てもどことなく奇妙な光景で。 しかしながら、これこそが峰明がこの冬官府に召し上げられた最大の理由の1つであるのだけれど。 「わかりましたよ…まさかアイツとはね。お前はもう少しアイツの傍で様子を伺ってきてくれるかい?」 労うように背を撫で上げると、使令は再び床へと溶け込んで行ったのであった。 峰明は景麒宛の書状の最後にこう書き加える事となる…「第一の敵は内に在り」と。 □■□
夢を…夢を見た。 打ち捨てられた「箱庭」の夢を。 在りし日の姿を所々垣間見せつつも、主の存在を否定するかの如く朽ちた姿。 朱色に塗られた柱はあちらこちらが剥がれ落ち、雲海に迫出した縁台は波に削り取られている。 フランス窓に嵌め込まれた玻璃は随分と長い間磨かれていないのであろう。室内を伺えぬ程埃に塗れ薄汚れている。 しかしながら…そこは明らかに金波宮だと思われて。 進める足は段々に重さを増し、見せ付けられる荒れ果てた姿に感情までもが暗く沈んで行くかのようで。 それでも足は止まらない。 何かに惹き寄せられる様、一歩一歩確実にどこかへと向けられて…。 辿り着いた庭院は、僅かに綻ぶ白い花が甘い蜜の匂いを零しているだけであった。 …けれど。 見るでもなく視線を彷徨わせた先…見つけてしまった。 何よりも咲き誇る、大輪の紅い花を。 迷子のように戸惑う眸は、何をも映していないように思えて。 慌てて呼びかけるも聞こえていないのか反応がない。 そして…彼女もまた、何かに惹き寄せられるかのように先へと一歩を踏み出して…。 「行ってはなりません!主上っ!」 どれ程大声で叫んでも、彼女の足は止まらない。 己の足も佇んでいた場所から一歩も動かす事が出来ず、1人行ってしまう主を追う事すら出来ないのだ。 何故?どうして? 問うことも許されず。 差し出した腕は、またもや届かない…それはまるで、己の罪を改めて知らしめるかのようでもあって。 涙が…零れる。 己は何の為に存在しているのであろうか?と。 ただ王の為に…あなたの為に… 声にならない想いは、残留思念のように箱庭の中へと溶け込んで行く。 白金に淡く光りを放つ、あなたへと想いを馳せた霧となって…。 続
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chapunの言い訳 うーん。話が余り動いてくれないっす; 一応今後の展開についてのネタは出来てるんですけど、そこまで持ってくのにエラク時間かかりそなヨカーン(;´Д`) 気長にお付き合い下さいませ。_| ̄|○||| |