廃墟と楽園 3
- 赤楽 28年 -


 「滅びし煌きの都市」
music by 海月堂様





そう、これでよかった。よかったのだ。

欺瞞と詭弁に彩られた王など、もうこの国には必要ない。

命ある限り民に尽くすだと?命ある限り?

王とは「神」であり、神である以上寿命を伴わない生き物ではないのか?

寿命が尽きる時…「王」である事を否とする時だと

何故に気付かない振りをする?

それ即ち、この国の破壊を意味する事ではないかのか?



なんと傲慢な!

なんと浅薄な!



お前には聞こえる筈もない

未だこの国には「王」と言う名の暴神を怨嗟する呪が

高らかに響き渡っている事を

そうだ…聞く必要なぞ…もうないのであったな…



そこに「神」はいると信じて疑わない

与えられる現実を只、諾々と受け入れる事しかしない愚民に満ちた世界

何を以ってして 「神」 がいるなぞと戯言を申すのか

神の意思と民の希いの具現という馬鹿げた人外の存在故か?

そこに在るだけで 国の安寧 を齎すと言う王か?

寿命を持たないと詭弁を吐き続ける憐れな生き物達の存在か?



否 否 否



その全てが まやかし であると

見て見ぬ振りをし続ける者の何と多い事よ…



国とは何だ?

人とは何だ?

神とは? 世界とは?



答えられる者なぞ…いる訳がない



神はこの世界の「理」を説いたと言う

条理だけが存在し、この世界を縛り付ける鎖となった

その結果は?

未だ混沌とし続ける世界の意味は?



そう…私は唯 "知りたいだけ"

「国を想う」 なぞという思慮のかけらも 私は持ち合わせてはいない



この世界に 「神」 がいると人は言う

それが真実ではない事を

「神に見放された世界」 であると

ただ 確信したかっただけ…








「六太?」



雁州国。玄英宮外殿。
珍しく王と宰輔が揃っている朝議は、ここぞとばかりに溜め込まれていた訴状を処理すべく所官が詰め掛けていた。
いつも以上に賑々しい朝殿、しかし…微かな異変に逸早く気付いたのは雁州国王尚隆。

傍らに侍る宰輔…延麒六太…が突然ガタガタと震えだしたのである。

「久しぶりの朝議で調子でも狂ったか?」

様子を伺うように、しかし気取られるないよう軽口を叩いてみるも、六太は微動だにしない。
王である尚隆の声すら耳に入っていないようだ。
顔からは血色が抜け、見開いた目は何も映してはいないようにぼんやりと足元を見つめる。
尚も身を硬く縮こませ、肩で荒い呼吸を繰り返す姿は…まだこの国ではあった事がない…麒麟特有の病の先触れのように見えた…。

ガタンッと玉座を倒すような勢いで立ち上がった尚隆が六太の小刻みに震える肩に手をかけようとした時、その姿は水に溶け込むように歪み、表と裏を引っ繰り返すような不確かな変異を伴い姿を変えた。

転変。

さすがに台輔の異変に気が付き始めた官吏達のざわめきが大きくなった頃、漸く六太は一言だけ、まるで命懸けで振り絞ったかのような声で呟いた。

「鳴蝕…」

そう呟くと、常世随一を誇る俊足で外殿から飛び出していったのであった…。

「悧角、いるな?」
『是』

どこからともなく響く低い声。尚隆の足元の影の中、濃い灰色の毛並みが一瞬姿を現す。
六太の使令、悧角だ。咄嗟の出来事とはいえ、六太は使令を尚隆の元へ残す事だけは忘れていなかったようだ。

「沃飛から状況を聞いて逐一報告しろ。必要ならば外の使令も駆り出せ」
『御意』

言うか言わぬかのうちに、悧角は存在を消した。
続いて尚隆は侍る官吏に向けて口を開く。

「朱衡、各国へ青鳥を。金波宮は浩瀚宛に直だ」
「御意に」
「成笙、禁軍空行師の準備だけは怠るな」
「御意」
「帷湍、明後日に控えた宮中郊祀、しばしの間開催を引き伸ばす。良いな?」
「御意に」

尚隆はそれだけを簡潔に言うと、「本日の朝議、これまで」と理由も告げず外殿を後にした。

外殿の堂扉を潜ると、足早に正寝へと向かう尚隆へと朱衡が声をかけた。

「主上、何事が起きて…」
「俺にもわからん。ただ…どこかの国の麒麟が"鳴蝕"を起こすような事態に見舞われた事だけは確かだろう」
「それは…」
「あれは麒麟の本能だろうよ。兄弟の悲鳴を聞いて黙っていられる者なぞおらんだろ?」
「…はい」

朱衡は黙々と歩を進める主の後ろに唯只管続く。
500年の治世の中、己の中に蓄えられた記憶を洗い出し、過去に似たような事象があったかどうか探す。
ざっと浚って見ても思い当たる節はなく、朱衡へ続く官吏に自分が行った作業を府第でも行うように指示を出した。

正寝へと辿り着くと、尚隆は筆をとり何やら急いで書き付けた。

「今できる事はこんなもんだろう。各府第に指示を出しておけ。」
「御意」

主の性質を現すかのような力強い筆跡。
普段は碌に王宮にも寄り付かない風来坊ではあるが、咄嗟の判断と決断は伊達に500年もの治世を守ってきたものではないと、朱衡はこのような変事が起こる度に抱える主への思いに何とも複雑な心持であった。

「それと、火急の案件は今控えてないな?」

確認を入れる眼差しはいつも感じる屈託ない物ではなく、真のもの。

「ございませぬ」
「俺はこれから蓬廬宮へと向かう。あちらで鳴蝕の場所と抜けていった方向を伺ってくる」
「御意。先触れを出しておきましょう」
「いや、俺のほうが先に着く。それにあの方にはそのような必要はないであろうから」

"これで俺の役目は終わった"とばかりに纏めてあった荷物を抱えると、尚隆は禁門へ最短距離で向かうべく窓から堂室を出て行った。

朱衡は主から受けた命を果たすべく官府へと向かう。
何かが起きている。それは麒麟にしかわからない変化で。
そして、それは他国での事である。あるが他人事ではない。

泰麒探索の折にも同じ事を思ったが、今はあの時よりも更に…何か逼迫したものを台輔から、主上から感じるのは気の所為ではないであろう…。500年生きてきた己の勘、としか言い様がないのではあるが。
思いがけず脳裏に浮かんだ映像に朱衡は顔を顰めた。
主上と台輔、隣国の美しく強い女王と怜悧な麒麟。

「大事…なければよろしいが…」

祈るような呟きは急ぐ足音に掻き消された。





麒麟の異変は玄英宮だけでの事でなかったのは言うまでもなく。





延の北東、虚海を隔てた戴極国白圭宮。
長期間に渡る動乱 - 王の不在 - が終わり、疲弊しきった国土と民の回復に邁進をしている最中であった。

「あぁ…」
「蒿里っ!」

突如ヘタヘタと蹲る自身の半身を抱きかかえる様に驍宗は走り込んだ。
腕の中に囚われた瞳は腕の主に向けられてはいるが…そこに映っているのは己ではなく、己を通り越した何か遠いものである感触。
台輔の異変に悲鳴を上げる女官を制止し、人払いをしつつ黄医を呼びに走らせた。

「気を確かに持て。私が判るか?蒿里」

きつく抱き留めて尚、瞳を逸らす事なく己の半身へと語りかける。
しばしの沈黙。
ゆっくりと焦点を定めるように色を戻す漆黒の瞳を見て、驍宗は安堵の息を洩らした。

「しゅ…上…」
「大事ないか?」

俯く瞳から、何か耐え切れない想いが迸っている事をひしひしと感じ、蒿里自身が続きを発するまで驍宗は辛抱強く待った。

「鳴蝕が…起きました…」

堪え切れなくなったのだろう。頬を伝う透明な雫を隠してやるように、驍宗は蒿里の顔を己の胸に埋めてやる。

「それは…」

そこまで言って驍宗は口を閉ざす。
蒿里の中にある…記憶を思い出したのであるのか、それとも今現実としていづこかの国で起こった出来事なのか驍宗自身では計りかねたからである。
主の思いを汲み取ったかのように、蒿里は直接驍宗の胸に響いてくるような声音で呟いた。

「私は、大丈夫です…しかし…この悲哀に満ちた鳴声を、私は忘れる事などできません」
「蒿里…」
「私のような想いを抱える麒麟は、私1人で十分です。それでも、新たに生まれてしまった…」

そこまで何とか呟くと、声もなく蒿里は泣いた。
未だ現実のものとして生生しい傷を残す、蒿里の中にある想いに触れてしまった事。そして他国で今実際に起きているであろう災事に、驍宗もまた心を苛まれた。





「梨雪や、今日はどんな珠金にしようかねぇ」
「主上の選んで下さったものに間違いはないでしょう?」

顔を見合わせてクスクスと笑いあうのは、氾王呉藍滌とその半身氾麟梨雪。範西国で300年の間、変わる事なく繰り広げられてきた朝の一時の情景。
仲睦まじく、目の前に広げられた豪奢かつ繊細な細工の施された美しい珠金の数々を手に取っていたその時であった。

手にしていた珠金をコトリと卓子に落とした梨雪を伺うように藍滌は目を細めると、いきなり梨雪は転変した。

「おやおや、朝からどうしたんだい?そちらの姿も私は好いておるから構わないけれどねぇ」
「わからない…勝手に、こちらの姿に…」

怯えるような響きを纏った声音に、藍滌はゆっくりと転変した姿の梨雪へと腕を伸ばした。

「何を怯えておるのじゃ、可愛い梨雪」
「何か…聞こえるの…泣いてるの、麒麟が」

ようやく搾り出したような声が、何度も何度も「麒麟が泣いている」と呟く。
主の膝に頤を乗せ、遥か遠くへと視線を延ばす。遥か東の地へと。

ゆっくりと金の鬣を撫でさすりながら、藍滌は静かに言った。

「梨雪や、焦ってはいけないよ。その時が来れば…私とお前が遣るべき事も見えてくる」
「ええ…わかってはいるの。いるけれど、私は麒麟なのよ…」

いつの間にか人型へと戻っていた梨雪の肩に、脱げてしまった羅衫を掛けてやる。
藍滌はその小さな体躯を膝の上に抱き上げて、己の半身が落ち着くまで泣かせてやった。



家族団欒とばかりに朝餉の後の茶を楽しむ中、突如茶器を取りこぼす者。
手下げていた桶の水を、勢い良く育つ草木へとかけている最中に桶を落としてしまう者。
「いつもながらの事とは言え…」と、主からきつい叱りを受けているのに、珍しく心ここにあらずと遠方を見遣りながら涙を流す者…。

場所は違えど、感じる想いは皆同じであった。










□■□










『何が、何が起きたんだよ!』

六太はとにかく焦っていた。
珍しく朝議に参殿していた最中、それは突然やってきた。

声にならない声…哀しみ・怒り・恐怖・憐み…そのどれでもあってどれでもない悲痛な叫び。
それが「鳴蝕」という物である事は、己には十分過ぎるほど解ってしまったのだ。

鳴蝕は…麒麟が啼く事によって起きる小さな「蝕」。
本来それは麒麟の能力として持ち合わせている物ではあるが、実際に起きる事は極稀である。
麒麟自身が危機に面したり、心から叫びを挙げた時に起こると言われているのだ。
即ち、どこかで危機的状況に陥っているのは明白で…。

魂から搾り出すようなその叫びを唯聞いている事しか出来ないとは思いたくなかった。

父もなく母もなく、必要とされる時に蓬山にある特別な里木…捨身木…から生まれてくる人外の生き物達。
生国は違えど、己が主という半身とはまた別の、麒麟にしか解り得ない繋がりを持つ己等は正に兄弟だから。

悲痛な嘆きを感じた方向へ一直線に走る。
己の影から沃飛が必死に声をかけてくるが、答えている余裕が六太にはなかった。

『よりにもよって景麒かよ!』

方角といい距離といい…違いようの無い事実が、更に六太を傷つける。
見てくれも態度も何もかもが六太よりもでかい。なのに心はそれになかなか伴わず…どこか頼りなく、それでも必死に、麒麟として己の主へと不器用な想いを迸らせている。
…でかいくせに妙に頼りなくて、可愛げなんぞあったものではないけれど、それでも愛しい弟…六太はそんな風に景麒を捉えていたのだった。
景麒が仕えている主もまた、不器用で景麒に負けず劣らず生真面目で。似た者同士のその主従はどこか危なっかしくて。 それでも、己に与えられた責務を、半身と共に果たそうとする真摯な姿が六太は大好きだった。

他国へ関心を持つことがないという、常世の常識を覆したその主従。
己の主とは別の意味で、六太は大切に想っていたからこそ…今己が感じている凶事が嘘であって欲しいと希わずにはいられない。

そんな六太の想いを感じたのであろうか、沃飛は主の影の中に潜む他の使令へと的確な指示を出して各々の役割を果たさせた。
『無事であって欲しい』と、沃飛もまた想う1人であったから。










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