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- tie it up -





数瞬の逡巡の後、後手にドアを閉めると闇己はゆっくりと視線を室内へと移した。
想像していたよりも内部は広く、どこか南国リゾートのような落ち着いた清潔感が漂っている。

ぱっと見本物に近い人造大理石の床は曇り1つない。
白を基調とした室内に、焦茶色の調度品と観葉植物がそつなくあしらわれていた。
入口ドアより左手にバンブー製のリビングセット、その向い側には40インチのプラズマテレビ。
更に左奥には小さなバーカウンター。
視線を右手に移すと、マッサージチェアーとフットバス用と思われる小さな装置。

しかし闇己の視線は、それらのものを通り過ぎ更に奥へと釘付けにさせられていた。
…天蓋付きで、ジョーゼットのカーテンが垂れ下がったキングサイズのベッドが我がもの顔で鎮座していたから。

カッっと眦が色付くのに気付いたが、どうする事も出来なくて。
頭の中では『ただのホテルだ』と何度も言い聞かせながら、先に入った七地の姿を探す。

「七地…?」

そう大して広くもない室内には求める姿を見つけられず。
ソファーの上に投げ出されるよう置かれたずぶ濡れの七地のバッグだけが、彼の存在を表す全てのように思われた。

慌てた闇己は他に部屋がないか室内をウロウロと彷徨うが、やはり他に部屋があるはずもなく、七地の姿も見当たらない。

再び置いてけぼりを食らった子犬のように身体を小さくする事しか、無様にも出来なかった。

俯き途方に暮れる闇己を他所に、ギィっと小さな音が室内に響いた。入口ドアの正面、摩りガラスのドアがゆっくりと開いた音であった。
恐る恐る視線を向ける闇己の視界には、真っ白なバスローブを纏った七地。

まだ雫の零れる髪をタオルで拭いながら、見るでもなく闇己を見遣ると、七地は無言のままソファーにどっぷりと浸かるよう埋もれた。

ほんのりと色付いた頬、バスローブから覗く腕と足は雪肌のように透き通り、俯きながら髪を拭いタオルの隙間から見える襟足は細くて…闇己は呆然と見つめる事しか出来ない。

どれ程の時が過ぎたと言うのだろう。互いの体内時計は既に麻痺しているようである。
黙ったまま一切の動きを止めてしまった闇己に痺れを切らしたか、七地は徐に口を開いた。

「風呂…風邪引くよ」

相変わらず視線は正面のプラズマテレビを睨むように固定されていたが、この部屋に入って初めて闇己に対しての言葉を七地は投げかけたのであった。

「ん…」

返事とも言えないような唸りに似た声を出すと、促されるまま闇己はバスルームへと消えた。





闇己の後姿が摩りガラスの向こう側に消えたのを確認すると、七地は『ふぅっ』っと、溜息1つ零した。

『俺、何やってるんだろ…』

正直な感想である。
あのまま知らないふりして闇己を置き去りにする事はいくらでもできた。
びしょ濡れだったからといって、電車に乗る事を拒否される訳ではなかったし。
闇己だって放っておかれても所謂名家の息子、電話1つでお抱えの運転手が高級車で迎えに馳せ参じるのであるのだから。
それならいっその事、1人でここまで来れば何の憂いもなかったであろうに…。

このホテルは七地の御用達であった。
大学からも新宿からも近く、値段以上に整った設備がお気に入りの理由。
女性と共に訪れるのは勿論の事、飲み過ぎて帰宅が困難になった時や今日のようなハプニングに見舞われた時などに利用していた、ある意味隠れ家のような場所。

しかし、所詮『ラブホテル』である。
闇己が主に利用するようなシティーホテルのスイートとは利用目的が違う。
最近はパーティー目的で使う輩もいるが、それはやはりマイノリティーであると七地は思っている。
一見そうは見えない作りではあるが、ベッド横のサイドテーブルの戸棚内にはコンドームやらゼリーやら玩具やら…"その手"の品物が"自販機宜しく"の販売機の中で購入者を待ち構えていたりするのだ。
風呂だってそう。
ラブチェアーはさすがにないが、2人で向かい合って座ってもお釣がくる程の広さを持つイルミネーション付きのジェットバス。
"愛撫の小道具に使うべし"と言わずもがななシャワーヘッドのつけられたシャワーブース。
何より…洗い場でそのまま事に至っても不都合ないように備え付けられたミストサウナやバスマットが何よりの違和感であろう。

闇己だってそれなりの年齢だ。
実際の経験の有無は問わず、知識としてなら嫌でも知っているはず。
それに、いくら内装はそれ程違和感がないとは言えど、外装はそのまんまラブホテル。
勿論、周囲には同じような建物が存在するホテル街の一角。

なのに、黙ってついてきた。
いくら無言で七地が引き連れていたとしても、闇己にとってここがどういう場所なのかわからない筈はない。

男同士だから?
友達だから?

多分、それ以外の感情なんて持ち合わせていないであろうと、七地は思う。
普段そんな様子は全く見せないが、一般常識的に考えて17歳という年齢はその手の事に真っ先に興味が向く年頃。

『興味本位と、俺の怒りへの焦り…って所か』

闇己が文句を言わない理由はこれしかないであろう。
そう思えば思うほど、乾いた苦笑が七地から零れてしまう。

いくら想い募ろうとも、それだけの関係でしかないのだと。
改めて突きつけられた現実は、七地が想像していたよりも苛烈に七地の心を苛んだ。



"まだ…そんな奇麗事で済まそうと思ってるなんて。オマエって相当な馬鹿だよね?"

クスクスという笑い声まで聞こえてきそうな、もう1人の自分の声が七地の耳元で甘く囁く。

"『据え膳食わぬは…』なんて、駅前で会った女の子には一瞬でも思ったクセに"
"…うるさい"

聞こえないよう七地は猛然と頭を左右に振るが、声なき声は止まる事を知らない。

"本命相手にビビッてるなんて、情けないね〜。同じ自分だとは到底思えない"
"ウルサイ"
"闇己に舐められてるんだって、まだ気付こうとしないのか?"トモダチ"って大義名分だけでオマエをどうにでも出来ると思いあがっているガキ…"



「うるさいっっ!」

思わず挙げてしまった声に、七地は我に返った。
胸の前できつく握り締められていた指先が、小刻みに震えている。

「それがっ!!…どうしたって、言うんだよ…っ」

腹の底から絞り出した声は、血の滲むようなものであった。

最初から分かっていたはずだ。
それでも、こんなに痛い。
胸が…痛い…。



"…楽に、なればいいだろう?"



蕩けそうな程の甘い声が、脳髄の隅々にまで染み渡って行く。



"ほら、もうすぐ闇己が風呂から出てくる"



視線を上げた先、摩りガラスの向こう側。
バスローブを手に取ろうとする朧気な姿。



"『トモダチ』だからこそ、笑って済ませる事も、あるんだし?"



「ともだち…」



そう。"トモダチ"だから笑って済ませられる事。
それだけの関係でしかないのなら。
ならば…



「縋って…みようじゃないの?」



小悪魔のような艶やかな笑みを七地は浮かべると、埋まっていたソファーから静かに立ち上がった。










□■□










七地が溜めておいてくれた湯に浸かりやっと人心地ついた闇己は、改めて己の置かれている現状について思いを馳せた。
怒らせてしまった七地に有無を言えなかったとは言え、連れられてきた場所が場所だから。

あれだけ怒り心頭だったのなら、闇己を置いて消えてしまったとしても文句は言えない。
タクシーを意地で拾わなければ帰れない等という理由は闇己にも七地にもありはしないのだから。

それでも、置いていかないでくれた。
七地に対して相当酷い事を言った自覚が闇己にはあったからこそ、何よりもその事実が嬉しかった。

七地に他意はなく、単に濡れそぼった身体をどうにかする為に連れてこられたであろう事も理解できる。
理解は出来るが…

闇己も列記とした17歳の健全な若者。
普段全くと言ってよい程、この手の事に関して興味を見せていなかったし、極力己自身で興味の対象から遠ざけていたけれど。

己には子孫を残す必要がないと、決めていたから。
子孫を残すという行為自体が排除すべきだと頑なに思っていたから。

しかしそれも…好意を向ける相手が七地であったのなら、意味をなさないのだと改めて気付く。
相手は男であり、己が最も恐れる"子を生す"という現実がありえないのだから。
何よりも、そんな否定的感情を凌駕する程…求めてしまっていた。

"欲しい"

ただ、それだけ。
心も、身体も、その全てが欲しいと。

気付いてしまったら闇己も意識せざるを得なかった。
ここはそういう場所。
知識として存在は知っていたが、実際目にしてみれば…やはりそれが目的の場所なのである。

シャンプー等のアメニティーと共に並んで違和感なく置かれてはいるが、見慣れない小瓶は"潤滑剤"であろう。
視線を彷徨わせるとすぐに視界に飛び込んでくるのは、浴室の隅に綺麗に丸められた1枚の厚手のシート。
意識したくなくとも、多感な年頃。無理な話である。

下肢に集まろうとした意識を無理矢理霧散させるよう、闇己は深く呼吸を吐いた。

そういう場所であろうとも、いくら己が求めようとも…七地にはそのようなつもりは毛頭ないだろう。
そう言い聞かせながら、闇己は理性の手綱を強く引く。

壊してしまいたい…気持ちがないと言えば嘘。
"トモダチ"という、温い関係をいい加減どうにかしたいと。

しかし、壊してしまった関係の後に続くものがあるとは…闇己自身想像も出来なかったのであった。
刹那の快楽なら、七地は憎悪やら諦めを持って闇己に与えてくれるかもしれない。
…それでは、闇己が納得できない。

相手の気持ちが伴ってこそ…そうでなければ、求める意味がない。

相手の気持ち…七地の気持ち。
七地も己と同じような感情を抱いているとは…ありえない。
だからこそ、理性の全てを動員してでも押さえ込まなければならない感情。

…持余しすぎているのは、覚悟の上で。

闇己はザブンと頭の天辺まで湯に浸かった。





身体も心も幾分か落ち着いたのを見計らって、闇己はバスルームを後にした。
七地が身に付けていたものと同じバスローブを纏い、頭からタオルを被っているのも一緒。

どこか気合を入れなおすかのように1度、両手で自分の頬を挟むと、闇己は七地の姿を視線で探す。
辿り着いた先は、やはり予想通りベッドの上で。
しどけなく両足を投げ出し、備え付けであろう雑誌をパラパラと捲っている。

「随分と長かったね」

何事もなかったのようにニッコリと笑顔を浮かべながら、七地は言った。
その笑顔の美しさに闇己は一瞬絶句するが、意地で言葉を紡ぎ出した。

「思ってた以上に身体が冷えてたから…」

浴室内で抱いていた邪な妄想を見咎められたみたいで、後ろめたさを覚えながら言い訳染みた理由を述べる。

「暖まったならいいんだよ。濡れた服、貸して?」

促されるまま闇己は差し出すと、慣れた様子で1つのドアを開ける七地。

「ここね、乾燥機付きの全自動洗濯機もあるんだ。こういう時に便利でしょ?」

簡単に洗濯表示を確認すると中に放り込んで行く。
ピピっとボタンを押して蓋を閉めると、機械の運転音が静かに響き出した。
そんな七地の姿を、闇己は声もなく見つめ続ける。

七地は黙ったままの闇己などおかまいなしに、小さなバーカウンターへと足を向ける。

「喉渇いたでしょ?さすがに日本酒は置いてないけど、ビールとソフトドリンクはそこそこ揃ってるよ」
「…何でもいい…」

やっとの事でそれだけ言うと、七地が差し出したビール缶を闇己は受け取った。
再びソファーに収まった七地の横に座るのもどこかいたたまれず、闇己はバーカウンターのスツールに軽く腰掛ける。
プルトップに指をかけると、プシュッっと小気味の良い炭酸の抜ける音。
半分程一気に呷ると、胸の中に蟠る思いをつと口にしてしまった。

「…よく、来るのか?」

吐いて出てしまった言葉は、二度と戻る事などありえない。
後悔先に立たずとはよくぞ言ったもので…闇己は己の浅はかさを恨んだ。
苦虫を噛み潰したかのよう手元の缶を睨む闇己に、七地は何を思ったのであろうか。
今となっては…当の七地自信でも答えられないのかもしれなかったが。

しばしの逡巡の後、七地は拘りもないように解答を提示した。

「そうだね、どれくらいの頻度が"よく来る"っていうのに値するのかはわからないけど、両手の指で足りない位には利用してるかな?」
「そう…」
「なぁに?照れてるの?」
「ちがっ!」

からかう様な七地の口調に、闇己は俯いていた顔を一気に持ち上げた。
…視線の先には、悠然と微笑む七地。

「この年で童貞ってのも、ちょっと問題あるでしょ?」

クスクスッっと零す笑いはどこか艶を纏っているようで。
闇己は七地から視線を逸らす事が出来ない。

"照れている"という七地の言葉も否定できないが、それ以上に闇己を捉えているのは『この部屋で自分の知らない女を七地が抱いていた』という事実。
抱かれたい訳ではない。
ただ…己がどれだけ望んでも得られる事はないであろうその人を、見知らぬ女は愛する事が出来た。
見知らぬ女を七地は愛した。

その嫉妬にも似た思いが、闇己の体中を駆け巡っていた。

そんな闇己の内情を嘲笑うかのように、七地は紡ぐ言葉を止めようとはしない。

「まぁ、君がこんな場所に今後足を踏み入れるとも思えないし。社会科見学のつもりであっちこっち見てみたら?それとも…」

言葉をとぎらせたかと思うと、徐に七地は闇己の元へと歩み寄ってきた。

静かに眼鏡を外すと、バーカウンターに置いて。
真っ直ぐに注がれる薄茶の瞳孔はアルコールの為か潤んでいる。
微かに色付いた頬に僅か開いた桃色の口唇。



…堕ちる



闇己が確信めいた想いに全身を総毛立たせた直後。
襲ってきた感情は…欲望以外の何物でもなかった。

ゆっくりと闇己の首に回される細い腕。
抱え込むように引き寄せられれば、重ねられた口唇。
その柔らかさと甘さに、意識が一気に彼岸まで飛ばされそうで。
触れては離れるを繰り返す、羽毛のようなキス。
何度も何度も、確かめるように落とされる口唇。

…どれだけの間、繰り返したのか。
下口唇を軽く甘噛みしながら、七地の口唇は離れていった。

「なな…ち…」

熱い吐息と共に吐き出されるのはその名前だけ。





「実地で、試して見る…?」





悠然と微笑む七地。
乱暴とも思える勢いで闇己は抱き寄せると、喰らい付くよう甘やかな口唇を貪った。





…後に訪れる衝撃など、知る由もなかったから。
ただ、今だけは。
溢れ出してしまった想いをぶつけてしまいたかっただけ。












chapunの言い訳

2人してウジウジしてたけど…七地壊れました_| ̄|○|||
開き直った人ってある意味無敵ですね;;

これ以上言い訳しないでとっとと続き書きます。(鬱
ってか、闇×七になるのか、リバーシブルになるのか?!
どっちに転ぶか未だ未定ですが、次こそ裏かしら・・・。(シネ

裏と表を行ったり来たりするやもしれませんがお許しくださいね(;´Д`)


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