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「暑いなぁ…」 額から流れ落ちる汗を右手で拭うと、小さな溜息を1つ七地は零した。 頂点を過ぎたばかりの陽射しが燦々と降りしきる午後、溢れる人混みと喧騒の真っ只中に七地はいる。 少しばかり気だるげな表情は、陽射しに晒され赤茶に煌く前髪に隠れてしまってはいたが…同じ目的を持ってその場に佇む人々は思わず視線を注いでしまっていた。 『か、可愛い…』
声に出したら多分こんな感じ。 別に"七地を取り囲む会"に参加している訳ではないだろうが、老若男女問わず視線を逸らせずにいるらしかった。 注目を集めている当の本人は一向に気が付こうともせず、だからこそお構いもなし。 陽射しの強さに参っているのか人混みに軽く酔っているからなのかわからない…が。 時々時間を確認するよう、目の前に聳えるビルに掲げられたディスプレイを上目遣いで見上げる仕草は気だるげで、纏いつく熱気に薄っすらと上気した頬が何とも色っぽい。 ちらっと周囲を見遣った後に零される溜息が、更に艶を増している事など勿論理解などしていなくて。 流れる汗を拭う指も腕も、今の季節を忘れさせる程白く細い。 ハンカチを握り締めた指先に視線を奪われる中…発動された"とどめ"のような動き。 白い首筋が覗く開襟の合わせ目をハタハタと動かして、貯まった体内の熱を逃そうとする動きに…誰からともなく溜息が零れていた。 『本来ならこんな人混みで待ちぼうけを食らうような人ではないだろうに』 視線を注ぐ人々の胸中では多分こんな言葉が呟かれていたであろう事は想像に難くない。 勿論、『誰だ?!こんな子炎天下の中待たせ続ける阿呆は』…とも。 しかしながら…そう思いつつも七地へと視線を注ぐ人々の殆どが、七地に声なぞかけられないのである。 ひとえに七地が『男』だからであるのは他でもないが、彼が纏う雰囲気が簡単にそうはさせてくれないものであったから。 余りにも自分に関して無頓着すぎて、それ故の迂闊さみたいな、危うさみたいな物が発せられる七地に声をかける前に…庇護欲のような物に摩り替わってしまうのであったから。 派手さはないが整った顔。通った鼻筋、厚くも薄くもない桜色の口唇、薄っすら色づいた頬…何よりもフレーム無しの、顔より少し大きめの眼鏡の向こう側の瞳が…とても魅力的で。 髪を見てもわかるが、色素が薄いのであろうか瞳も勿論明るめの茶色。多少黒目がちで潤んでいるように見える。 それでも身長は一般成人男性並かいくらか低い程度のように見受けられるし、細く見えてはいるが二の腕にはそこそこ筋肉らしき物、女にはないであろう物も…多分ついている。 『あぁ…(俺が)(私が)女だったら速攻逆ナンしてるのに!!!』
そんな不穏な考えに取り憑かれている周囲など全く知る由もなく、七地は今日何度目かわからない溜息を零すのであった。 そう、ただ待ち人を待っているだけ。たったそれだけなのだが…。 『遅い…遅いよぉぉぉぉ!!』 声に出して言ってしまえたらどんなに楽だろうに…そう思いつつも人目を気にして絶対できないであろう事も七地は十分理解していた。自分はそういうタイプなのだから仕方ないと。 求める人の姿が未だ見えないのはある意味承知してはいるのだが…この暑さの前ではそんな事すら忘れてしまいそうで。 降り注ぐ午後の陽射しは9月に入ったというのに一向に弱まる気配などなく、他人に比べてもより白いだろうと思われる七地の肌をジリジリと焦がしている。 勿論、汗は滝のように流れるし、ハンカチでいくら拭った所で止まる訳もなくて。 徐に伸ばされた指が、斜めがけにされたバッグの中に入り込み目的の物を探そうとするが…。 駅に着いた直後に買った緑茶のペットボトルの中身なぞ当の昔に空になっていた事に今更ながら気付き、軽い失笑を浮かべた。 背後に聳える巨大な駅ビル、ぽっかりと口を開けたように地下街へと続く階段を下りたすぐそこに店があるのは知っているのだが…ほんの少し、飲み物を買いに行っている間に彼とすれ違いでもしてしまったらと思うと自分の足はもう動いてくれないのだから仕方ない。 改めてそんな事に気が付いてしまうと、更に情けないような失笑を浮かべなくてはならない事を…七地は知りすぎている。 それほどまでに"彼"に捕らわれている自分を、それをどこか遠くで笑っているもう1人の自分がいる事も知っていた。 「あぁ、もう。やんなっちゃうね…」 誰に当てたでもなく呟かれた言葉は、続く溜息に掻き消されていった。 元々、ここにいる羽目になったのは自分で言い出した事だからしょうがない。 大学の長い長い夏休みもそろそろ終わりを迎えようとしていた。 その間に闇己と過ごした時間は物凄く長かったのだが、それはあくまでも"神剣探し"という名目故のものであって。 7月後半から8月一杯は高校生である彼も勿論夏休み。 西へ東へ、南へ北へ。それらしい情報が一党から上がってくると、それこそ全国津々浦々駆けずり回って確認していった。 …全部空振りではあったけど。 それでも、共に過ごす時間は楽しくて。闇己もまんざらでもなさそうだったし。 基本は布椎の用意する黒塗り高級車での移動であったが、目的地が近場であったりすると七地運転の愛車に変わった。 ちょっとしたドライブ気分で。それこそ"神剣探し"という目的をどこか忘れてしまったような闇己との一時は、思いがけず心地良い時間であったのがまずかったのか。 自分が"鍛冶師"であるからこそ必要とされている事実に蓋をして、"七地健生"として必要にされたいと、共に過ごしたいなんて思い始めてしまったから大変。 最初は可愛くないガキだと思ってた。 年の割に大人びすぎて、愛想の1つも零さない整いすぎた顔が小憎らしくさえあったのに。 しかし、彼を取り巻く環境を知れば知る程、彼の背負う業を知る程それも仕方ないんだと思う自分が生まれていった。 彼がそのような態度を取る事を彼の周囲は求めていたし、彼自身もそうでなければならないと頑なに思っていたし。 始めはちょっとした同情だったのに。 七地の身なら絶対に起こり得ないであろう現実を、当たり前のように黙って受け入れる5歳年下の背中が本当はとても小さな物だって知ってしまったから。 闇を纏う名前を持っているくせに、時々酷く闇に怯える姿。 逃げ出しようが無くて、ただ立ち尽くす事しか出来ない背中を…抱き締めたくなるのにそう時間はかからなかった。 ましてや、普段人を人とも思わない尊大な態度の闇己が、時々"自分にだけ"甘えを見せるようになってきてからは…加速度的に闇己へと傾く自分を持余し気味だなんて。 そして、そんな自分を面白そうに眺めるもう1人の冷静な自分。 『ちゃんちゃらおかしい』
簡単に言い捨ててしまう自分もまた、本当の自分でもあるのだから…参ってしまう。 "ただ、友達として共に過ごす事が出来るのなら"…なんて、生ぬるい現実に嵌りまくっている自分。 痛くも痒くもなく、微かな甘さしか感じない、刺激とは無縁の世界。 多分こういうのを人は『幸せ』と言うんだろうが、いい加減物足りない。 ヴァーチャルな幸せじゃ、とっくに足りない自分。 だからといって、抜け出そうとも思わない。 それほど…闇己に焦がれている証拠。 だから、誘ってみた。 "偶にはゆっくり羽でも伸ばそう"とかなんとか言って、公務に神剣探しにと夏休みなのに忙しい闇己の貴重な休日をもぎ取った。 特別何かしようと思った訳じゃない。適当に話題の映画でもみて、服やCDや本でも漁って、晩酌を兼ねた夕食でもすればいいか程度。 ありがちなデート…それでも、共に過ごす生ぬるい甘さが欲しかったのだから仕方ない。 しかし、あっけなく邪魔をするもう1つの現実…彼は全国各地に散らばる布椎一党の宗主。 早朝からの急な公務によって、彼の体は彼の物ではなくなってしまった。 宗主としての彼は、闇己であって闇己でないのだから、これもまた仕方ない…。 何だか仕方ない事ばかりで、七地は考える事を放棄しはじめた。 あー…暑い。 一体いつまでこうして闇己を待ち続ければいいんだか。 約束の時間はとっくに過ぎている…それも当初「遅れてくる」と言った時間から更に2時間以上。 何気なく携帯をチェックすると、番号非通知の着信が8件。 「俺、非通知は出ないって何度も言ってるのになぁ〜」 口から零れる言葉も、もはや暑さの為にだらしなく緩みきっている。 「ダメだ…我慢の限界…」 持たれていた待ち合わせ客用のバーから身を離すと、周囲の空気が一瞬動いたような気がして…七地は辺りを見回す。 闇己が現れると、大抵彼の容貌の美しさからこんな風に周囲に静かなざわめきが起きるのが常であったから。 しかしいくら視線を彷徨わせてみても、闇己の姿を視界に納める事は叶わなかった。 勘違い。 そこまでやっと思い至って、激しく苦笑する。 本当は…七地に視線を奪われていた周囲の人々が起こしたざわめきであったのに。やはり七地は自分に対してとことん鈍い。 "馬鹿じゃないの?従順な振りして、本当は貪欲に欲しがってるくせに" もう1人の冷静な自分が耳元で囁く声が七地には聞こえたような気がした。 "ほんとの事言うなよ。今結構心も体もキちゃってるし。ダメージでかいんだから、お前の言葉はいつだって" 胸の奥底でそんな事を呟いて頭を一振り。 何かを吹っ切るようにフラフラと足を駅ビルの地下街へ向かって進めた直後だった。 「あのぉ〜」 かけられる高い声。…求めていたものではなかった。 振り返るのも億劫だったが、呼び止められれば振り返らない訳にはいかない…それもまた七地で。 「なぁに?」 暑さに参ってしまっている体は声を出すのも一苦労で…それもその筈。七地は炎天下で3時間も待ちぼうけを食らっていたのだから。 声に滲む疲労感を隠そうともせず振り返った視線の先には、すこぶる綺麗な女の子が2人。 ここぞとばかりに露出されまくった肌に、ある意味視線のやり場がなく七地の目は泳いだ。 そう…待ちぼうけを食らっていた七地を遠目から眺めていた観衆の中の2人であった。 七地が動くのを辛抱強く待って、漸く声をかけるチャンスをGETしたのであった。 「待ち合わせ、ドタキャンだったんでしょ?良かったらカラオケでもしません?」 「かな〜り長い間待ってたみたいだしぃ、いい加減暑さも限界でしょ?」 口々に尤もらしい事を行って、愛らしい笑顔を七地に振りまく。 普段ならそりゃぁ喜んでOKの返事を、多少照れながらも返していただろうが。 「ごめん、一緒に行けない」 心が全く動かなかった訳ではないけど、それでも今の七地は目の前のエサに食指を伸ばせない程…闇己に捕らわれていたのだった。 せめて優しい笑顔で断ろうと、目一杯表情を崩して答えた直後だった。 「何、七地に手出してるんだよっ!」 荒々しく腕を捕まれると、大きな背中の後ろに隠されてしまって。 本当に隠すようで、捕まれた腕はそのままギュっと背中を押し付けられた。 間近に感じる闇己の匂いと体温、七地に意識するなというのも無理な話で。 腰のあたりに血液が集中するような感覚…てか、おい!俺! 必至に意識を別の物へと逸らせようと、闇己とやり取りしている彼女らに闇己の肩越し視線をやった。 己の中の闇の気を殊更膨らましている闇己を相手に、軽々とかわしている彼女達。 「てかさ、あんたナニ?」 「こいつの連れだ」 「"連れ"だってさ」 「"連れ"ねぇ…」 胡散臭そうに闇己を見遣る。周囲を取り囲む待ち人を待つ人々も興味を隠すことなく視線を注いできていた。 「何だ、文句あるのか?」 『あー;』 七地は心の中で蹲った…いくら大人ぶっていようと所詮闇己も子供だったという事かと…。 彼女達の明らかな挑発の言葉に、闇己は疑いもせず応戦してしまったのだから。 ニヤリと小悪魔っぽく笑ったマイクロミニのデニムをはいた少女が先手を打ってきた。 「てかぁ、彼さ〜、炎天下の中ずっと待ちぼうけ食らってた訳」 「そ。でもってずっと見てた訳、あたしたち。もう可哀想な程何度も時計と睨めっこしてたよね〜お兄さん」 肩越しに覗いていた七地の存在などとっくに気が付いていたのか、当たり前のようにいたずらそうな笑顔を向けてきたのは細身のストレートジーンズを綺麗に穿きこなす少女。 「えっ…と…」 碌な返事が返ってこないことすらお見通しのようで。 気にせず言葉を綴っていった。 「今更出てきて"俺の連れ"もナニもないんじゃないの〜?って事」 「そそ。こっちだってずっと隙伺ってたんだしぃ。そう簡単に諦められないってば」 「大体、友達だろうがそうじゃなかろうが、3時間も平気で待たせるような人、普通アリエナイしぃ」 「マヂアリエナイ。って事で、後ろに隠したお兄さん返して?」 「「ねっv」」 多分、真正面から受け止めたら間違いなくよろめかないでいられないであろう笑顔を、彼女達は惜しげもなく闇己に向かって晒した。 「無理。行くぞ七地」 何事もなかったかのように振り返ると、掴んでいた七地の腕から指に手をずらし、闇己はスタスタと人混みの中を進もうとしていた。 「ちょ、ちょっと!闇己君!」 「何だ?あんたあの脳味噌沸いた女達と一緒にいたかったとか言わないだろうな?」 「そ、それは…」 "言いたかった"とは正直に言えない七地。一瞬答えに詰まってしまったのをいい事に、まだ諦めきれない彼女達はすかさず声をかけた。 「ほらぁ。あんたさっきからこっちのお兄さんの言う事全然聞いてないぢゃん」 「七地さんだっけか。あんた七地さんの意思って全く関係ないわけぇ?ってか超横暴すぎ」 「七地さ〜ん、こんな馬鹿ほっといて一緒にいこ?3時間待ってやったんだし、もうそろそろいいんじゃないの〜?」 「だよねー。てか、あんたも結構イイ男だし、一緒にくっついてきてもいいけど?」 キャラキャラと甲高い笑いを振りまく彼女達…それ以上言うなと七地が口を挟もうとした直後だった。 ピシッ。ピシッ。ピシピシピシピシピシッッ!! 周囲の温度が一気に下がったかのような錯覚。 立ち並ぶビルの窓ガラスが一斉にビシビシと震え、ロータリーに生える木々が幹を揺らし始めた。 …本気で闇己がキレた瞬間であった。 ジットリとした視線を目の前の少女達を突き刺すがが如く送る。 闇己の背後に立ち竦む七地は彼の体からおどろおどろしいモノが立ち上がっていくのが見えたような気がした。 闇己のいきなりの変化に、さすがの"現役女子高生丸出し、向かう所敵無し"を突っ走っていた彼女達も雲行きが妖しいと思い始めたようであった。 「な、ナニよ」 「そんなあからさまに脅すような顔したって、このアルタ前の囚人環境でナニが出来るっていうのよ!」 「…言いたい事はそれだけか…」 地の底を這うような重低音の響きが闇己の口から発せられる。 「ナニ、言ってるんだかわかんな…」 「"言いたい事はそれだけか"と、言っている」 「こいつ…超、ヤバクない………?」 マイクロミニの少女が一歩後ろに引き下がった時。 「3時間待たせようが何しようが七地は七地だからいいんだよ!超横暴だと?ああ、それがどうした。俺は七地にしか横暴じゃないからいいだろっ!あんたらに何の問題があるっていうんだ? 隙を伺っていただと?泥棒猫真っ青だな。若さを武器に男を陥落しようとする薄汚い馬鹿が何を偉そうな事を抜かす?親の庇護の元でしかピーピー言えない馬鹿娘がっ!お前らみたいな馬鹿は正直虫唾が張るんだよっ」 「いい加減にしろよ!」 バチンッ 思わず七地の手が動いていた。 闇己に捕らえられていない方の手で、容赦なく闇己の頬を張ってしまっていたのだった。 「何…考えてるんだか…」 捕まれていた指を振り解くと、七地はキッっと闇己の顔を睨み付けた。 「3時間連絡なしに遅れてきたのも事実。俺に横暴なのも事実。赤の他人にそれ言われた位で何本気になってるんだよ!それくらい言われる事覚悟してやってたんじゃないのか? そんな覚悟もなしに、俺の事好きに出来ると思ってたって事?それこそ、"ちゃんちゃらおかしい"んじゃない?」 呼吸を整えると、今度は彼女らに向かって。 「君達も君達だよ。彼に横暴とか言う前に自分達がやってる事顧みてみたら? 俺は最初から『一緒に行かない』って言ってるんだよ?それを、目の前にあるおもちゃを駄々を捏ねて強請る子供みたいにしつこく絡んでくるなんて。それだって十分すぎる程横暴だろ? "俺の意思なんか関係ない"なんて、誰にも言わせないよ。俺は俺だ。訳わかんない事で勝手に荒れるな馬鹿ども!」 ケッっと唾でも吐きそうな勢いでそれだけ吐き出すと、七地はずんずんと歩き始めた。 「七地っっ」 悲鳴のような呼び声も耳に入らないほど、七地は怒り狂っていた。 背後で小さく背中を丸めているであろう存在を一切無視しつつ、傾いてきた陽射しを遮る事もせず七地は人混みに紛れた。 Next |
chapunの言い訳 久しぶりの八雲だって言うのに、最初から雲行き妖し過ぎ。(鬱 でも、書きたかったのだからしょうがないっす。はい、開き直ります。(●´ω`●)ゞ 普段はただただ闇己に甘いばかりの七地を書き殴っているので、たまには強気の七地もいいかな〜と。 ちょっと長くなるかもしれませんが、勢い持つ間に一気に書こうと思ってますので、しばしの間お付き合い宜しくお願い致します!m(._.*)m |