ヒビキ    






七地の様子がおかしい。

それが何時からなのか……記憶の糸を手繰り寄せる。

「やっぱり維夫谷に行った後からか」


およそ3週間ほど前の事。

年中行事の神事が執り行われる為、俺は七地を伴い維夫谷を訪れていた。
本来なら1人で行き、とっとと用件を済ませて戻ってくる事が出来たのだが…子供っぽい俺の我儘に七地を引きずり込んだのだ。

「鍛治師としてあんたも来い」
有無を言わさぬ誘い…そうでもしないと繋ぎとめてはいられないと思う不安感。

そう、『恋しい人を只近くに感じていたい』と願う独占欲以外の何物でもなかった。





七地に対してだけは手加減が出来なかった。
必然か偶然か…今となってはどうでもいい事なのかもしれない。

それでも俺達は出逢った---混乱と狂気の中で。



降りしきる雨を意識できないほどの恐怖の中、禁域を駆け巡る俺と七地。
白刃を振りかぶり、命を摘み取ろうとする俺を見つめる真っ直ぐな瞳に……魅入られた。

"殺されるかもしれない"という究極の環境に置かれても媚びる事を知らず、神々しく揺らめくその瞳。

己の中の闇に絡め取られそうな俺を、唯一現世に繋ぎとめる事のできた戒め……


"ああ…こいつだけが俺の命を摘み取る者"---立場は逆のはずなのに、確信できてしまった。

そして"こいつになら命をくれてやってもいいか"と思えたのも…





それからは七地の事が頭から離れる事はなかった。

浮かぶのは…全てを包み込むような瞳。

抱えた事のない想いに散々悩み倒した挙句、己が出した結論は……

七地に恋焦がれている事。


祝寝を見て訪れた京都での再会で確信した。

あいつが男であろうが5つも年上であろうが関係ない。

それほど確固とした我欲にも似た気持ちを持ち合わせたのは初めてだったが、そう理解する事で己の中の嵐に収まりがついたのは事実だった。


布椎一党の宗主としての立場、七地の気持ちを考えれば軽軽しく態度や口にできるものではない事は判っている。

それでも抱え込む情熱は七地と過す時間が増えていく程募り、押さえ込もうとすればする程綻びが生じる。



そう、丁度こんな風に…





維夫谷に辿り着いた直後は特に変わった事などなかった。

"鍛治師"として扱われる事に強い抵抗を感じながらも、俺の申し出を断りなどしない。
ぶつぶつ文句を言いつつ、それでも微笑みを絶やさない七地だったのに……

神事を滞りなく終えた時には…既に維夫谷から七地の存在が消えていた。

慌てて七地を探させようとする俺を制止したのは寧子だった。
『七地さん、急用で戻られたわ』…残された言葉はたったそれだけ。


信じられなかったし、信じたくなかった。

今までにそんな中途半端な態度をする事など無かったから。

必ず判るように説明し、俺に理解を求めてから行動に移していた七地。

こんな"逃げるように"消える事など有り得ないのに…七地の姿は無い。


その直後からか……神剣が共鳴りを始めたのは。

本来の主を求めるかの様に切ない奏でを調べ始めたのだ。

建御雷の共鳴りから始まり、続いて維夫谷の迦具土にも伝わった。

通常の共鳴りとは明らかに違う。神剣の"意思"のようなものさえ感じられてしまうのだ…

限りなく透明で、張り裂けんばかりの切なさを滲ませた…それでも微かな悲鳴。

俺には七地の心の叫びの様にしか聞こえなかった。





変な胸騒ぎがした。

祝寝を見たわけではないが、己のなかに抱え込む『闇』が敏感に反応しているのがわかる。

何よりも神剣が共鳴りを起こしている…何かの前触れなのか?



とにかく七地に会いたかった。

顔を見て安心したかった……俺の杞憂だったと。


しかし、それすら叶わない日々。

七地が拒んでいる。

毎日の様に電話をかけた。始めの1週間は何とか電話口で捕まえる事ができたが、2週目頃からはそれすらも覚束なくなる。

運悪く俺も外せない公務が重なり七地宅に赴く時間すら取れないまま、諾々と時間ばかりが過ぎていく。

理由に全く検討がつかず、夕香に探りを入れては見たものの……

「どうして健ちゃんのことばっかり聞くの!!」
逆襲に遭うが、無理矢理宥め透かして手に入れた情報は…

「闇己くん…健ちゃんを助けて…」
夕香からの無念の救いだった。


夕香の口から語られた言葉は無茶苦茶なものだった。

「何だか鬼気迫ってるの…学校とバイトの往復って生活は以前と同じなんだけど…時間が半端じゃないの」

「半端じゃないって…?」

「うん。もう、早朝から深夜まで空いてる時間が無いほど何かしらの予定詰め込んでる。ここ3週間近くずっとそう。おまけに…夜も眠れてないみたい。直接見てるわけじゃないから何とも言いようないけど、そんな気配感じちゃう。大体、あの顔色の悪さからして尋常じゃないよ……家族で声を掛けたって"大丈夫、心配するな"の1点張りだし…」
本気で心配しているらしい。いつものような声の張りが夕香から感じられない。

「それって…俺と維夫谷に行った後くらいからか?」
恐る恐る尋ねる。

「…そうかも。時期的に言えばピッタリしてる。何か健ちゃんにあったの?闇己くん!!」
答えられる筈がない。その答えの糸口を求めて電話しているのだから。

適当に濁すと、納得いかないまでも受話器を下ろしてくれた。





七地の中の嵐…少なくとも俺に関わっていそうな事だけは事実。

このままボーっと過している時間は残されていなさそうだ。

……そうして、また七地に負担を掛ける。

己の浅はかな想いの犠牲にさせるんだ。

無理矢理呼び出す口実を必至で探す。

"鍛治師"という名の楔を打ち込み

"布椎"の檻に誘い込んで

自由を奪う。





そんな事出来る義理もなければ立場でもないのに

いつでも獰猛な牙を研ぎ続ける自分…

手放すには愛しすぎて

いつか喰らい尽くすであろう想いを持て余し

感情の赴くままに制圧する。





そうして

月夜に血涙を流す者

ここにもひとり…





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