青 い 鳥 2 


 ♪:「蝶纏い」
music by 遠来未来様





人混みの中をすり抜ける陽子の額には汗が滲んでいた。
まだ残暑の厳しさが残る堯天。政務の合間、隙をつくように単身抜け出してきていたのであった。
相変わらず男物の身軽な袍を身に纏い、足元の影の中には共犯とも言うべき班渠を従えて。
勿論、景麒には『ちょっと視察に堯天まで』との置き手紙を残して。
差し迫っていた事案もなく、ここ数週間は穏やかな日々が続いていた事もありちょっとした息抜きと実際の視察も兼ねての出奔。

己の立場を考えれば余り行儀がいいとは言えない行いではあったが、数十年の間度々繰り返された陽子の行動は既に金波宮に仕える、陽子に近しい官吏の間では極当たり前の行事となっていたのも事実で。
戻った時に眉間に皺を寄せまくった己の半身から、恨めしいばかりの視線と盛大な溜息交じりのお小言を頂戴しなければならないのは何とも言い難いが。
それでも、いつも「無事のお戻り、何よりでございます」と、陽子にしかわからないような微苦笑を浮かべ禁門で迎え入れてくれる姿が陽子は気に入っていた。

身寄りのいない陽子を、当たり前のように向えてくれる不器用な笑顔が、とても好きだった。
勿論、祥瓊や鈴、遠甫に浩瀚、桓魋に虎嘯に、今や官吏となって国の中枢を支えるようになった夕暉や桂桂…沢山の仲間が陽子を向えてはくれる。
けれども…そんな沢山の笑顔と景麒の浮かべる笑顔はどこか違っていて。

上手く表現は出来ないけれど…陽子の半身が景麒であるように、景麒の半身は陽子で。
どちらかでも欠ける事が許されない関係。
陽子には景麒しかおらず、景麒には陽子しか…それは何とも仄甘く、けれど残酷な繋がり。

『私は…この関係を確認したくて出奔しているのかもしれないな』

がらにもなくそんな事を思ってしまう程、景麒との関係は当初は考えられなかった程穏やかで順調で。
つらつらとそのような事を思い耽っていた時に流れ込んできた言葉。



「ねぇ、今広途のつき当たりの広場でやっている朱旌の小説見た?」
「勿論見たわよ。素敵よね。赤烏の君だったかしら。まるで主上の人となりを表していらっしゃるかのようだって、どこかの官吏が言っていたらしいわよ?」
「まぁ、私、もう1度見に行ってこようかしら」
「そうね。改めて見直してもいいかもしれないわ」



赤烏の君…なんだろう。
陽子は己の中の記憶の引き出しをもの凄い勢いで開け続ける。奥深い所で手にとまったものは懐かしい記憶。

「八咫烏(やたがらす)の事かな?…何だか、凄く懐かしい響き…」

中学生の頃だったか。
修学旅行で赴いた熊野で初めてその存在を知った。
日輪の中に凛として佇む3本足の烏の名称、それが八咫烏であった。
熊野神社の御印となった八咫烏の伝説をなんとはなしに思いだす。

天下統治の為、紀の国熊野へと降立った神武天皇。嵐の中で道に迷い、幽山渓谷の深い木々に苛まれ前途を危ぶまれていた。
その時、突如日輪の中から天照大神が現れ、「天より八咫烏を使わそう。八咫烏の飛び行く後に続けば道が拓く」と神武天皇へ神託された。
言われるがまま従うと、道は拓け、無事山越えを果たすことが出来た…正に"神の御導き"という説話。

しかし…これには続き、いや、元になった話があったはず。
しかしその時陽子は思いだす事が出来なかったのである。赤烏という響きに直結する記憶の筈なのに。

「まぁ…いいか。もう、遥か昔の記憶だしな」

それでも、"赤烏"という言葉に妙に惹かれたのは確かで。

「広途の付き当たりか。まだ日は高いし…少し覗いてくるかな」

20年程前に1度朱旌の小説を見た事があったのだが、その時の話はこちら(常世)の伝説を主題とした話だったので、元になる話を知らなかった陽子にはなかなか理解し難かった記憶があった。
しかし、今回は比較的耳に馴染のある音が主題に使われているのである。

引き寄せられるように、陽子は人混みの中を目的の場所まで向っていった。





ぽっかりと口を開けたように存在する広場に、余り大きいとは言えない天幕が張り巡らされていた。
辺りを埋め尽くす人の数の割には余りに小さなそれが陽子には些か奇妙に思えたが、"とりあえず見て見たい"という欲求の方が勝り、入場口を求め周囲をうろついた。
しかしそのような場所を見つける事が出来ず。
客寄せの為に小説のあらすじの口上を語り続ける朱旌にそれとなく陽子は語りかけた。

「ここには入口はないのか?」

口上を妨げるような形になってしまったが、朱旌は愛想よく陽子に答えた。

「はい、私達は屋外での興行を主としております。あちらに見えます天幕は舞台なのでございますよ。御観覧頂く御客様は天幕の前に広がる席に座って頂くのでございます」
「ほぅ。それはまた面白い仕組みだな。観劇料はどこで支払うのだ?」
「私と同じ衣装を纏った者が周囲におります故、そちらの者にお渡し下さい。金子と引き換えにお席へと御案内致します」
「わかった。仕事中に声をかけて申し訳なかったな」
「いえいえ、これも仕事のうちでございますよ。今回の小説は稀代稀に見る秀逸な出来となっております。ごゆるりとお楽しみ下さいませ」
「ありがとう」

穏やかな笑みで告げる朱旌に1つ頭を垂れると、陽子は天幕の傍へと歩き出した。
先程説明を受けたように、天幕の前には無数の小さな囲いが存在し、その中に小さな床几が所狭しと並べられていた。
"まるで相撲の升席のようだな"なぞと思いながら、近くにいた朱旌に声をかけた。

「大人1人。まだ席は残っているかな?かなり人気の小説のようだけど」
「はい、お蔭様で大盛況でございますよ。ああ、かなり後方になってしまいますがお1人様用の席が残っております。そちらでもようございますか?」
「構わない。舞台が見える場所ならね」
「畏まりました」

陽子は朱旌に言われた額の金子を渡すと、これから始まる小説に胸を高鳴らせる人々の喧騒に包まれた席へと案内されていった。




陽子が案内された席に着くと間も無く1人の老爺が舞台の隅に現れた。
古ぼけた椅子にちょこんと腰掛けると軽く咳払いを1つ。たったそれだけの事で会場となっている広場は一瞬で静まり返った。どうやらこれが小説の始まる合図らしい。
会場を軽く見回すと、老爺は何事もなかったかのように語り始めた。

「私は長い間朱旌として十二の国を渡り歩いて参りました。極寒の最果ての地、年中常夏の地。それはもう数多の場所でございます。
沢山の人々との出会いと別れも繰り返してきました。その中には山客や海客もおったのは言うまでもございません。
彼らはこちらにはない知識、技術、優れた説話などを知り得ております。私はその1つ1つを聞き取り、詳細に記し、己の知識とすべく、小説の題材とすべく蓄えてきました」

そういって椅子の陰から古ぼけた和綴じの本を何冊も取り出して、観客に見えるような動きでパラパラと捲っていった。

「今回皆様に御披露致します小説は、数多の山客・海客から知り得た優れた説話を集めた品でございます。
皆様には馴染のない思想や神も登場致しますが、それは蓬莱や崑崙に伝わる物。
こちらの古い伝説とそう変わるものでもございません。
ほんの一時、幸せな夢を見るつもりでごゆるりとお楽しみ下さいませ」

立ち上がり深く頭を垂れると、老爺はそのまま舞台の袖の辺りに止まった。
彼の役回りは始まりの口上だけではなかった。

蓬莱風に例えると…「講談師」というべきなのか?
老爺が語る話に合わせて役者が立ち振舞い、時に必要な台詞を口にする。こちらで行われている小説とは些か異なった舞台に陽子は更に興味を惹かれていった。

話の内容は…メーテルリンクの「青い鳥」に近かった。
しかし、探す鳥は「青」ではなく「赤」。そして求める鳥の名が「赤烏」だったのである。
そして、陽子自身がかつて過した事のあった日々によく似すぎていた…。



遥か昔、とある国での話。
王の不在が長く続き、人々は疲弊しきっていた。
土地は荒れ、作物は育たず、妖魔が跋扈する世界。
それでも力ある者は己の私腹を肥やす為、事在る毎に戦を起こし世を乱す。
大半の民が隣国へと逃げ出す程荒みきっていたが、「いつかは立派な王が現れる」と希望を捨てず、地道に生を行き抜こうとする人々もまだ残っていた…そんな場所。

1人の娘が王の登勅を希い毎日里祠へと祈っていた。
晴れの日も雨の日も雪の日も…毎日毎日天帝に祈りを捧げていた。
娘は厳しい日々の生活の中、ささやかではあるが供物を欠かす事もなく真摯な祈りを捧げ続けた。
それでも…王は現れない。何年も何年も、今日命がある事が奇跡のように思える場所で何とか生を繋いできていたのに。
祈り信じてきたものに見捨てられたようだった。娘が里祠に通うようになって10年目、初めて不遜だとは思いつつも天帝を呪うような気持ちを持ってしまったのだった。
その時、突然目の前に現れた1人の老婆。

老婆は自ら地仙であると娘に名乗り上げた。
娘の余りにも悲痛な胸の内を聞いてしまった為、普段人と交じる事はしないが見捨てておけなかったと。
娘は老婆に問う。天帝にもこの祈りは届いているのか?と。
しかし老婆は頭を左右に振るのみ。
「お主は祈るばかりで自ずから何一つ事を起こそうとはしておらぬ」
だから玉帝にまで祈りは届いていないかもしれないと。

娘は老婆に詰め寄る。"どうすれば天帝に祈りが通じるようになるか?その為には己の命を捧げる事すら厭わない"と。
娘の真摯な希いに、老婆は1つの問題を提示した。"赤烏(せきう)を求めよ"と。
赤烏とは神の御使い。それを手にした者の希いを必ず天帝に届けてくれるという瑞行の印だという。
しかし赤烏を見つけるのは簡単な事ではないと、娘1人では命を捧げた所で見つけられるかもわからぬと。
老婆の非情な言葉にも娘は引き下がらなかった。
明日をも知れぬ命にしがみつき変わらぬ世を嘆く日々を送り続けるのなら、わずかばかりの可能性にかけてみると。

言い切った娘に向って老婆は"少しばかり手を貸してやろう"と、懐から金子の入った財嚢と"幸せとは何かを求めよ"という言葉を与えた。
娘は頭を地べたに擦り付けるよう老婆に礼を述べると、老婆は難しい顔で娘に最後の言葉を残して消えたという。
「そう簡単に礼を述べるではない。赤烏は黄海にいるのだから」と。


ここまでが陽子の知る「青い鳥」に良く似た展開。
ここから先が…かつて味わった苦難の日々を目の前で体現されていくような展開であった。


赤烏を求める旅は今までにも増して厳しい日々の連続であった。
度重なる妖魔の襲撃。己を守る術のない娘はただ只管に逃げる。
戦に遭遇した事もあった。妖魔よりも人という存在のほうが恐ろしいと思えるような出来事が娘を襲う。
それでも、諦めない。
老婆の言葉を信じ、己が胸の内に抱える思いだけを頼りに赤烏を求めた。
いつの日か見つかると、信じて1歩を踏み出す孤高の夜が続く。

しかし、そんな儚い希望を打ち砕くような現実。
時に触れ合う事のあった人々には悉く裏切られ、次第に娘は疑心暗鬼に陥ってゆく。
何を信じればいいのかわからない。老婆の言葉さえ、己の中の思いさえ疑う日々。
差し出された優しい腕を振り切り、逃げ出した事もあった。

心まで荒みきってしまいそうなそんな時、娘は己が黄海へと続く令巽門の前に立っている事に気づいた。
安闔日だというのに殆ど人気のないそこ。
手元に僅かに残る金子を全て注ぎ込んで、昇山する訳ではないが年若い剛氏を1人雇った。
娘を騙した人々から聞き知った黄海の知識での最良の判断。

音もなく開く令巽門。
随行の少ない旅に嫌がる剛氏を無理矢理引き立て、吸い寄せられるように娘は踏み出した。

娘の荒んだ心は己が雇った剛氏すら信じられず、些細な事でぶつかりあう。
本来の目的を剛氏へと告げていない娘は、昇山者が辿る道からわざと外れるような道を進みたがる事がぶつかりあう事の殆どの原因で。
そんな時、思いがけず妖魔の襲撃に会う。それまでの行程では全く遭遇していなかったのにも関らず。
己を守る術のない娘は逃げる事しか頭になくて。
黄海の知識が殆ど無いに等しい為、道から反れるような方角へと逃げようとした娘を剛氏は己の身を盾にして守った。

その時になってやっと気づく人の心の存在。
決して良好な関係を築いてきた道行ではなかった。それでも…剛氏は己の職分を遂行すべく、何か訳在りの娘を守るべく己を盾にして娘を逃がそうとした。
そんな剛氏の心に触れ、やっと荒み凍っていた娘の心が溶けだす。

人を信じる事が怖かった。再び裏切られる事を何よりも恐れた娘。
恐れる余りに、己が他人を信じる事すら放棄し、醜くなり下がった己を見て見ぬ振りをし続けていた。
それがどれ程の過ちであったか。

老婆は己に向って言わなかっただろうか?"幸せとは何ぞ?"と。
人が幸せと感じる事…それ即ち己の心が満たされていると感じる時。
娘が旅を続ける中で知った事があった。
目の前に転がる些細な幸福に目がいかず、より大きな幸福を求め争う姿。
心に余裕がないと、そんな簡単な事にすら気が付かない愚かな生き物…それが人であると。

人の幸せとは、心に余裕があればどんな物でも幸せに繋がる。
その事実が少しずつ心を満たして、満たされた心は他者を慮る事も出来るのだと。
心持次第で、それは幸せにも不幸せにも成り得るのだと。

妖魔の襲撃によって傷ついた剛氏を後ろ手に庇いつつ、娘はこんな状況下になって初めて思い知った事実に打ちのめされた。
この時になって、本当に切実に赤烏を求めた。
剛氏と違い己の身すら守る術を持たぬ娘。強大な力を要する妖魔に向って何が出来る訳でもない。
それでも…剛氏を見捨てる事だけは出来なかった。
今度それをやってしまえば、己は人としてある事すら放棄するだろうと確信していたから。

ここで己の生が潰えても構わないと、娘はどこか人事のように安穏のした心持で思っていた。
己の身で目の前の妖魔の腹が満たされれば、剛氏は喰われる事はないであろうと。
娘を食んでいる間に剛氏も何とかこの場から逃げ出せるであろうと。

どこか余裕の笑みを浮かべた瞬間、飛びかかってくる妖魔の姿を視界の端で捕えた娘。
静かに次に訪れるであろう痛みに耐えようと眸を閉じた…が、襲ってくる筈の痛みがこない。
恐る恐る目蓋を持ち上げると、目の前にいた妖魔とは別の妖魔が娘の目の前に静かに立っていた。

それは赤い羽根を持った妖鳥。
娘と剛氏を喰らおうとしていた妖魔をたった今仕留めたばかりで、赤々とした返り血を浴び、元から赤い羽根が更に赤味を増している。

これが赤烏か…ぼんやりと娘は思いながら、目の前のあやかしに近付く。恐れはない。
そっと触れた身体からは温かな体温が感じられて。娘を恐れる風でもなく赤烏と思しき妖魔は娘にされるがままになっていた。

とうとう私は見つけたんだ…娘が呟くと、目の前のあやかしは逆に娘に呟いたという。
「それはこちらの台詞です」と。
あやかしが呟いた直後、遥か彼方からこちらへ向って飛んで来る騎獣の多数の影が見えた。
蓬廬宮から使わされた女仙達であった。その遥か後方、赤銅色の髪を靡かせた若者が娘へと視線を注いでいる。
「主上、お待ち申し上げておりました」…若者は確かにそう告げると、剛氏によって流された血に酔ってそのまま意識を失ったという。

これが「赤烏の君」と二つ名で呼ばれた稀代の名君と赤麒麟との出会いであるという。

蓬山に昇り訳のわからぬまま天勅を受けると、怪我の癒えた剛氏に礼を述べ、娘は赤麒麟を伴い生国へと下った。
老婆に与えられた旅という名の試練の中で得た経験をその治世の中で最大に生かし、民へと幸せを運ぶ王として、賢君として長きに渡り民に愛されたという。
その国では王が求めた"赤烏(赤い鳥)"と赤麒麟の存在により赤が貴色とされ、幸せを齎す色として王朝が途絶えた後も民に末永く好まれる色となった。



老爺の語りが静かに終わると、観客からは盛大な拍手喝采が舞台に向けて惜しげなく齎された。
穏やかな笑みを浮かべた老爺が舞台袖に消えると、それで終わりとばかりに観客が一斉に席を立ち始めた。

しかし陽子はなかなか席を立つ事が敵わなかった。
目の前でたった今語られた話の衝撃に、未だ意識が宙に浮いているような感覚だったのである。

『主上、どうなされました?』

訝しんだ班渠が足元の影の中から微かな声を挙げた。

「ううん、何でもないよ」
『そろそろ日も傾いて参りました。宮に戻られてはいかがでありましょうか?』

班渠の問いに陽子はしばし黙考し、否やを告げる。

「ごめん、語り部の老人に少し話しを聞いてみたいんだ。もう少し付き会ってくれないか?」
『…御意』

班渠とのやりとりが終わり、やっと陽子は人気もまばらになった客席を後にした。
小説が始まる前に声をかけた客引きの朱旌に再び声をかけ、陽子は語り部の老人と話をする事が出来るか訊ねてみた。

「それは構いませんが、何か興味を惹かれる事なぞございましたか?」
「うん。私は海客なんだよ。それでちょっと気になる所があってね」
「それはそれは。翁も貴方の話しを伺えれば喜ぶでしょう。小汚い所ではございますがこちらへ」

多少卑怯かな?と思いつつ、陽子は己が海客である事をわざと告げた。そうすれば何とかさっきの老爺に会う事が出来るのではないかとの期待を籠めて。
男は丁寧な礼をとって陽子を舞台裏へと案内してくれた。
雑然と舞台の小道具やら衣装やらが並ぶ天幕の中、先程の老爺は舞台袖にいた時と同じく小さな椅子に腰掛け、最初に手にしていた和綴じの本をパラパラと捲っている所であった。

近付いてくるこちらの存在に気が付いたのか、本から頭をあげると人好きのしそうな笑みを浮かべて老爺は陽子に手近な椅子を薦めてくれた。
陽子は促されるまま腰掛けると、何から話せばいいのかしばし口唇を閉ざし考えていた。

「赤烏とは…日輪の中に住まうという神の御使いであると、遠い昔山客より聞き知りました」

陽子が問う前に老爺はそう言って、ホホホと軽やかな笑みを浮かべた。

「いやいや、何故"赤烏"が幸せの鳥になるのか、そこが貴方様の心に引っかかっておられるのではないかと思いましてな。
赤烏は崑崙に伝わる伝説の中の生き物でございます。
日輪の中に住まう事から"太陽"そのものを表す意味も持ち得ていると。
それは神の子。10の太陽の中に10の赤烏が棲み、人の満ちる土地に陰る事なく温かな日を注ぐ存在。
しかしある時、1度に10の太陽が空に昇り、激しい旱(ひでり)に見舞われた人々は神に何とかして欲しいと希い出る。
神はその希いを聞き届けるべく、1人の若者に9つの太陽を射落とすよう命じた。
若者は言われるがまま9つの太陽を射落としていったが、堕ちた太陽の中からは赤烏が現れた。
赤烏は神の子。神は己が言い出した事であるにも関らず己の子を射落とされた事に嘆き悲しんだ…3本足の烏の存在が明らかになった説話でございますね」
「よく…知っているな。私もその昔赤烏について、八咫烏について調べた事があったのだが。余りにも昔過ぎて所々忘れてしまっていてね」
「八咫烏でございますか。蓬莱に伝わる神の御使いでございますね。元は赤烏であったとかなかったとか」
「うん。元々中国、崑崙か。そちらから伝わってきた説話が元になって八咫烏が生まれたらしいよ。私もそれ程詳しい訳ではないから断定は出来ないんだけどね」
「なるほど。赤烏は八咫烏でもある訳でございますね」
「そうだ。でもね、私が不思議なのは、何故神の子であり神の御使いであり、人の為に射落とされてしまった赤烏が"幸せの鳥"になったのか。そこなんだよ。
あなたは多分、「青い鳥」の話も知っていると思うんだけど。
蓬莱で幸せの鳥と言えば"青"なんだ…」

陽子の弁に老爺はクスクスと面白そうに笑みを零した。
陽子にはその笑みの意味がわからず、老爺が続く言葉を発するのを待った。

「それは今私達がいる国が慶だからでございますよ。
景王はそれは見事な赤髪をお持ちだとか。私の言いたい事がお分かり頂けますか?」
「"その土地の好みにあった物を提供した"…という事かな?」
「その通りでございます。私達は1つ所に定まらない民。
その土地の求める物を与える事で生業を得ている者でございますので、赴く場所によって多少話の内容が異なる事など当たり前なのですよ」

いつの間にか老爺の隣には小さな子供が立っていた。手には茶器を2つ携えて。
おずおずと陽子と老爺へと茶を差し出すと、恥ずかしいのか労いの言葉を告げる前に走り去ってしまった。

「求められる物を与えるというのは簡単なようでいて難しい。さじ加減1つで話の意味合いが変わってしまいますので」

一口茶を啜ると、老爺は何でもないように陽子に告げた。

「そして、求めるより求められるほうが何倍も苦労を伴うものでございます。
貴方様は求められる苦痛を知っておいでの様子。何、無駄に長生きしております故の勘とでも申しましょうかね。
私のような一介の老爺が何を申し上げる事も出来ませんが…偶には求めてみるのも一興かもしれませぬぞ?」

いたずらそうな笑みを浮かべると、老爺は席を立った。話はこれで終わりらしい。
結局陽子は何1つ質問をする事が出来なかった。出来なかったが、求めていた答えは何となく老爺から得ているという事だけはわかっていた。

老爺は天幕の出口まで陽子を送ってくれた。
胸の中にあるもやもやが晴れた訳ではなかったが、何となく楽になった陽子は老爺に向って深く頭を垂れ礼を述べた。

「ほれ、日も大分翳って参りました。貴方の帰りを待つ人々をこれ以上心配させる訳には参りますまい。
日が僅かでも残っているうちにお戻り下さいませ」
「ありがとう。最後に1つだけ…赤(青)い鳥は、幸せだったのかな?」

陽子の問いに老爺は一瞬眸を閉じると、抑揚のない声で呟いた。

「私は…赤い鳥にはなりませんので。何とも申し上げられません。それでも"幸せだったのではないか"とは思いたい。
これが答えとして手を打って頂けませんか?」

苦笑を浮かべた老爺にもう1度陽子は笑顔と礼を浮かべると、堯天の町を後にした。












chapunの言い訳

青い鳥の話、実は余り好きではありません。^^;
たまたま娘に強請られて買ったんで、それをネタに(鬱



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