青 い 鳥 1 


 ♪:「蝶纏い」
music by 遠来未来様





「主上?」



その微かな変動を感じる事が出来るのは、金波宮内に措いて彼以外いなかった。

「このような夜更けに…」

いくら小臣が其方此方を守っているとはいえ御一人で…内心の溜息を押し殺す事なく吐き出すと、景麒は音も無く自室を後にした。

気候変化の乏しい雲海上とはいえ、初秋をかなり過ぎていた。
日が暮れればそれなりに肌寒さを感じない訳ではない。

多分主上は薄着のままうろついているのであろうと、己の事に関しては全くといっていい程頓着しない主を思い浮かべては 僅かに感じる王気を辿るよう、景麒は歩を進める。
それは、発する主の持つ印象とは違い、薄青く煌く光り。

緋色の豊かな髪、峻烈なまでに鮮やかな行動、輝く翡翠の眸の奥に垣間見える情熱…そのような物を全て含めると、景王という人物に対して誰しもが「緋色」の印象を持つ。
受ける陽子は、「長い髪の紅が何より目立つからな〜。何だかんだと言ってまずは第一印象だしな。人が人に持つイメージなんてそんなものだ」と。
からからと上げた笑いには何の衒いも感じられなかったと景麒は記憶する。

しかし、景麒だけは知っている。己にしか知りえない"色"を、主は持っているのだと。

麒麟という人智を越えた生物だけが感じる事の出来るもの…光りのようであり、波動のようであり。
所謂『王気』と呼ばれるものだ。
それは時に色を、温度を伴って感じられる。

景麒の主…陽子の発するそれは、微かに煌く青を纏っていた。
決して冷たい色ではない。
余りに熱を持ち過ぎると、炎は己の色を変化させる。赤から黄へ、黄から白へ、白から青へ。
陽子の"青"は、高温の"青"に近かった。
白青く瞬きゆるりと煌きながら陽子を取り巻く王気は何よりも美しいと、素直に景麒は思っていた。

時に色を落とし、時に爆発せんばかりに溢れさせる。
主の感情に多いに影響されると思われる王気は、目まぐるしくその姿を変えるのだ。

しかし…今感じる王気は、どことなく翳りがある。
眩しい程の輝きは影を薄め、薄い紗幕を幾重にも纏っているようで。
ほの青く煙るようなそれが、今現在の陽子の心境を顕著に表している事を景麒は痛い程感じる事が出来てしまう…。

思わず王気を辿る足が緩んだ。
このような王気を発している時は、陽子の中に人知れぬ迷いがある時。
それは、決して短くはない期間彼女と共にある事を許された景麒だからこそわかりえる真実。
故に迷う心が景麒の中にもまた生まれたのであった。

不安定な内情を隠すでもない主を放っておく訳にはいかない。
このような時間に1人、いくら王宮内とは言え出歩かせる事も出来ない。
しかし…主は1人になりたいのであろう事も王気から、王気が向う先からも感じられて。

迷う己を打ち払うかのように、頭を強く一振りする。
怯んだ足を再び前に進める。

結局…離れる事なぞ出来ないのである。
迷う心よりももっと強い、本能という部分で求めてしまうのだから。
それが"麒麟"という生き物。
主と掲げる王の存在なくして、己の存在を見出せない憐れな生き物。

仄青い王気を辿る足を叱咤し、景麒は淡い月光纏う園林を奥へと進んで行った。





無意識に足が動いていた。
何処へ向うという意思はなく、足の向くまま只管歩き続ける。
時々、意味もなくそんな奇矯を犯してしまう己を忌々しく思いながら。
それでも…己の立場を痛いほど理解していても、湧き上がる衝動を抑える事が陽子には出来なかった。

陽子が慶国王に就いてから短くはない年月が流れていた。
幾度かの騒乱も経験し、それでも引く事はおろか只管前に進み続けた。
"玉座は血で贖われる"とは、隣国に御す稀代の王がかつて陽子に語った言葉。
玉座に就くという事は、正にその一言に尽きた。
民の、国の安寧を思えば、時に強行な手段を選ばねばならない事も多々ある。
勿論、いくら王の勅命だからといって素直に頷ける人が全てではなく、叛意を表す輩も存在して。
罪を憎んで人を憎まずと言うけれど、罪は罪なのだ。
罰する事を否とすれば、即国の安定は覆される。
勿論、罪状は深く吟味し、それに見合った罰が与えられているのだが…それを下すのは紛れもない自分自身であり。

国が落ち着いた今となっても、流された数多の血の匂いをどこかで感じる。
忘れてはいけない。「尊い犠牲」なんて詭弁で片付けてはならない人々の存在があってこそ、今己が立つ場所があるという事を。

葛藤が…なかった訳ではない。

突然見知らぬ世界に放り出され、今まで己が知り得ていた常識とはかけ離れた常識・秩序に縛られた世界で"王"という名の神に祀り上げられた。
それは自分の意思で決めた事。
周囲からの懐柔がなかった訳ではないが、それでも己が掴み取った現実。

しかし…後悔がなかった訳でもなくて。
余りにも己が知る常識が通用しない世界。神仙になった事で言葉は畢竟理解できはしたが文字は扱えず、常識に疎く、世の理・世界の仕組みが理解できない。
「そういうものだ」と説かれても、簡単に納得できる程大人でも子供でもなくて。

人が物事を理解するには、己の中の知識と照らし合わせて凡その外殻を捉える事から始まると陽子は思っていた。
そこから対象への知識を更に蓄え、ぼんやりとしていた外殻にしっかりとした輪郭を与える。
それだけでは中身のない空っぽな存在なので、対象に絞った知識だけではなく、それを取り巻く環境や歴史やらも加味していく…そうする事でやっと己のものと成り得るのではないかと。

しかしながら、その作業をするには尤も重要であると思われる"己の中の知識と照らし合わせる"という工程が全く意味をなさないのであるのだから…堪らない。
赤子のように、与えられるものを只管吸収する鷹揚さがあればと何度思った事か。
無いもの強請り以外の何物でもなかったのだけれど。

蓬莱で生きてきた記憶が、知識が、経験が陽子にはある。それがあるからこそ今の陽子という存在がある。
しかし、それら"陽子を形作るもの"が、この世界で生きると決めた陽子を時に脅かす存在になろうとは。

激しい矛盾を抱え続ける現実。
それでも、陽子が立つ場所では泣き言を零す暇さえ与えられない…それが玉座というもの。

雲海の下、陽子が天帝という存在から任された国には、安寧という言葉の意味を知らない民がいた。
長く続いた王朝が近年見られず、動乱に揺れ妖魔が跋扈する。
明日をも知れぬ我が身を己で抱きしめる事すら出来ない粛清に満ちた日々しか知らなかった民に、王として何が出来るのか…。
「難しく考える必要はない」と、何度も諭された。所詮王など民に仕える下僕にすぎないのだからと。
頭の中では理解しようとしても、心まで完全に支配する事など出来ない。
功で味わった苦い思いが、慶の民の姿と重なって…。

上に立つ者が感情に支配されるなど噴飯物の馬鹿さ加減であろうが、それでも。
あのように辛く、痛い思いを民に与えてはならないと。それだけが陽子の王として己を立たせる原動力と成り得たのは否定できない事実でもあった。

ただ無我夢中で。"良い国とはどんなものであろうか"と、"辛い思いをしない国とはなんであろう"と。
月日を重ねる毎に増えていく友に、仲間に、己の半身に…頼り励まされながら進み続けた日々を振り返る余裕がやっと陽子の中に生まれた時…感じた虚ろな静寂。

言葉で表すのは難しい…何とも言えない苦い思い。
それがなんであるのか、陽子にはわからなかった。

ただ、その思いを抱えるきっかけになった出来事があった事だけは覚えている。
時に視察と称して、時にお忍びで市井に紛れる事が多々ある陽子が耳にした、端から見れば微笑ましい民の会話。

「青い鳥は…幸せだったのかな…?」

誰に宛てたでもない呟きは、夜の静寂(しじま)に溶けていく。










chapunの言い訳

遠来未来さんの曲を拝聴したら妄想が大爆発!
もの凄い勢いで書き殴ったらできました。(鬱

きりの良さそうな所でカットしたので最初は少々短め。
余り長くはないけど、またしても続きモノでごめんなさいです;


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